普通になりたいなーと言ったら「普通って何!?」「普通の基準って?」とか言われたのだけど
みんな個性が大事とか自分にあるものを大切にとか言うけど、空気読めとかちょっと人と違ったらからかわれたりとかするときの気持ちをみんな知らないんだろう。
昔から「●●ちゃんは個性強いね」と言われてたけど、あんまり友達はいないし親はそれをむちゃくちゃ心配するし集団にも馴染めなくて個性なんかあってもいいことなかった。
個性なかったら、もっと友達いたのかなとか沢山の人と生活を楽しめたのかなとか考えると、個性なんてほんとに必要ないなと思う。弟なんか目立った個性もないのに友達いっぱいいるし気配りも出来るのに、僕なんか本を読んでも泣けないし映画を観ても言いたいことが分からないし。みんなと一緒に泣いたり笑ったりするだけでいいのに。
人はみんな違ってみんないいんだから受け入れなよと言われたけど、「いつかきっと普通になれるんだ」と思って生きてきたしなれると思わないと頑張る気力も湧かない。個性を大事にしろとか言う人は僕がどれだけ寂しい思いをしたのか知らないのだ。知らないからそんな風に言えるのだ。友達は少なくてもいいって言われたけど、多いからそんな風に言えるのだ。孤独を知らない人はみんなそう言う。
それに、個性を大事にと言う人は、僕がこういうことを言ってると非難してくる。ほらそう言うじゃないか。受け入れないじゃないか。そうやって「個性がある世界が普通」って考えてるじゃん。個性がないといけないって考えてるじゃん。そうやって言うから、やっぱり僕は普通になりたい。人に基準を託せば、そこに疑問を抱かなくていいんだ。小さい枠な捕われていたら何も考えなくて済む。それがだめ?
僕が普通になりたいのは個性じゃないの?
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
多数派の常識の範囲内での個性ってのをある程度尊重しようって話であって、少数派を尊重しようってわけではない。
むしろ個々の人間が集団として国や社会を形成してる。
価値観の均一化がなけりゃ成り立たない。
ななしさん
なんだか説教くさいことも言いたくなってしまうけれど。
私も普遍普通に憧れてるので、主さんの言ってることに共感しました。私の場合は普通になりたい、ってよりも何も考えずにラクして生きたいってのが的確な表現だけれども。
テストを受けるとよく分かるけど、世の中の物事だいたい正規分布に沿って分布してる。
極論だけど、全ての事柄には「絶対に平均がある」というわけ。
そして外れ値も同様に存在するんだなあ、これが。
わかりやすく例をあげれば「異性愛者」かな。
世の中の平均値は「異性愛者」だけれど、外れ値として「同性愛者」「そもそも恋愛興味ない人」とかがいるわけだ。
(※マイノリティ批判をしてるわけではありません)
だから、人生にも普遍普通ってあると思うんだ。
類型化できる、パターン化した人生。
そりゃ、細かく見たら全く同じ人生を歩む人はいないだろうけど、それでも数々のライブイベントにおいて何か共通した要素を持ってるに違いない。
だってそうじゃなきゃ「結婚年齢の平均」なんて出てこないじゃん!
隣の芝生は青く、自分にないものは欲しくなってしまうんだ。平均的な反応は自分にはないから、普通になりたいと願うばかり。
世の中の当たり前を疑わずに、それを基準にして生きていけたら楽だったのだろうに、と思うね。
でも何十年と生きてきて今更趣味嗜好を変えるのも面倒だし、自分で自分を愛してあげるしかないのかなーなんて思ったりする。
私の場合、自己肯定感が下がるとつい普遍普通に憧れてしまうよ。
ななしさん
普通とは書いて字の如く
「普(あまね)く通じる」
全ての物事に通じる、いわば全知全能。
そんな人に憧れるもしくはなりたいと思うのは、ごく自然で当たり前のことだと思う。
ななしさん
個性的で在りうる為には、まずその個性を自身が認める事が本当に大事なのだと思います。
ななしさん
どんな個性を持っているかより、その個性を含めてどんな人なのかが重要だと思います。
私の友人は蛇が大好きです。
周りには同じように蛇が好きな人は1人もいません。
これだけ見たら、友人は個性的な人です。
でも彼女は孤独ではありません。気遣いが出来るし、人に優しいし、旅行に行くと味の想像がつかないご当地お土産を買ってきて私達に配ったりします。
蛇を好き、という個性だけで、彼女がどんな人かが決まるわけではありません。
蛇が好きなのは、あくまで彼女を作る要素のひとつでしかありません。
私は蛇が大嫌いで、彼女の蛇が好きという気持ちはまったくわかりません。ですが他の要素である彼女の優しさ、面白さをよく知っているから、総合的に考えて私は彼女が大好きです。
あなたの弟さんは、「目立った個性がない」ということは、逆に考えれば「こだわりやアクが強くなくて、誰でも近寄りやすい」ということ。これは立派な個性です。近寄りやすければ当然友達も増えやすいでしょう。「気配りが出来る」のもとても良い個性です。周りから愛されるのもよくわかります。
あなたは、マイナーなことだけが個性と思っていませんか?
野球に比べてソフトボールをやる男子はとても少ないから個性的だとか。
ゴキブリを好きな人は少ないから個性的だとか。
それは違って、優しいとか明るいとかだって立派な個性なんですよ。だって全員が優しく明るいわけじゃないでしょう?冷たい人も暗い人もいますから。
個性は「人と違う、変わってる」ってことじゃなくて、「その人はこういうタイプの人」という単なる特徴に過ぎません。
自分の個性ひとつだけにとらわれないで。
そして、あなたの中にある他の個性もどんどん周りに見せて下さい。思いやりや明るさや、知的さや大胆さ、行動力に洞察力など。それに好感を持った人達は、自分が理解出来ない個性のひとつくらいあっても、何とも思いません。まるごとあなたを好きになってくれると思いますよ。
冬
言葉って不自由。同じ言葉でもそこに込める意味が違うから、話しててもこんがらがってくる。特に一方通行の掲示板ではね。
と、前置きして。
主さんはたくさんの友達と同じ本を読んだり映画を観て感想言い合って泣いたり笑ったりするためには自分の個性では出来ないって考えてるんだね。
弟君の様にたくさん友達がいない、気配り出来ないのは自分の個性が邪魔してるって思ってるんだね。
受け入れろって言われたってそれは自分に対しての無理解だって感じてる。
個性ってさ、もう抗えないものだと思う。誰もが「個性」的なんだと思う。そう言う意味で受け入れろって言ってるんじゃないかな。でも主さんは個性に損得があると思ってるから拒絶したい。ここに言葉の受け取り方の違いがある様な気がする。
あなた(冬)は私の寂しさも孤独も知らないから言ってるんだ、と言われたら何も言えないけど、それでも言ってしまうね。
人に基準を与えるから思う様に行かない。出来れば基準は自分にした方が楽です。
主さんが欲しい沢山の友達は皆々それぞれに基準があるからその人たちに合わせるとしたら考えないわけにはいかないと思うの。
小さな枠に囚われているのがダメなんじゃ無いさ。そこに囚われてるから辛いんでしょ。逆だよ。
その悲しさ、辛さがあなたの個性。かけがえの無いもの。いつも寄り添ってあげられなくてごめんね。でも、主さんは声をあげられる人の様な気がする。
どうでもいい人から離れることで本当に主さんの個性を認めてくれる人が現れる。
今は辛い時間かもしれないけれど、人と付き合いたいという人は人を受け入れられる人。傷つくことを恐がらないで、その個性、見守ってあげてください。
ななしさん
その「基準」が一人一人違うからね。
ななしさん
じゃあ逆に「個性」ってなんだと思う?
ななしさん
あなたのこの主張を読んで感じた事ですが。
多分あなたは
普通になっても友達できなかったりからかわれたりすると思いますよ。
あなたがそうなのは、
個性的だから、ではないから。
普通とか個性的とか、
それが原因じゃあないんですよ。
重要ポイントが的外れです。
鈴木、39歳主婦
ななしさん
個性は大事と言っても、良いものと悪いものがありますよね。
小動物をいたぶり殺すのが好きだ、楽しい。これも個性。
人に認められるものとそうでないものがあるのは当たり前。
好かれる個性と嫌がられる個性のどちらの個性の「個性的」によって他人からどう思われるかが違ってきます。人に好かれる個性…例えば、「優しい」だとか「気遣いが出来る」「包容力がある」を持っていたら好かれるでしょうね。
貴方の周囲の中で貴方は特異かもしれませんが、人類全体から見たら貴方と同じ人はたくさんいますよ。きっと。だから、そんなに気にする必要がないと思います。
友達は量じゃなくて質だと思いますけど、貴方はそう思わないんですか?
質というのは能力の話ではなく、付き合いの深さです。
沢山の友人と深い付き合いをする人ってそういませんよ。
本当に仲の良い友人とは本音で話します。
そうでない友人には話を合わせます。八方美人にならない程度に。
話が上手くまとまりませんが私はこんな感じです。
私も「個性的」だと言われるタイプの人間です。
でも、それは普通がわかっているからわざとそれから外れた行動をしているというだけなんで貴方とは違うのかもしれません。
ななしさん
みんな孤独を知らない、自分は個性的だそう言われた程度、周りとは違うから友達ができない、全部貴方の思い上がり。
どんな人もあなたの経験したような感情は何かしらで程度は違えど体験しているもん。あなたは、それに気づいていない。自分を特別視しすぎていませんか。
人は皆少なからず自分を他とは違う特別な存在であると無意識的に思ってしまうものだそうです。
確かに天才、奇才、個性的と言われる人はいるけれど、そういう人は孤独、はぐれものだと言われるけれど、そういうものと個性というものは、そんなに相互に結びつくものじゃないと思います。他に原因があるんですよ。
周りと溶け込めないのは、個性のせいじゃなくて社会的常識不足、コミュニケーション下手のせいではないでしょうか。
普通な人なんて定義は曖昧です。場所によって変わります。文化、国、地域、家庭そういう貴方が認識し比較するコミュニティーの中で違ってくるものです。
貴方が言う普通は、貴方の周りと比べての普通なんですよね。どうしても普通と思えないなら、もっといろんな所へ行っていろんな人と会えば、自分はなんて普通なんだろうって思えると思いますよ。
ななしさん
私も学生時代あなたと同じで、友達はゼロでした。
いたのはいたけど話も合わないし1人になりたくないからくっついてただけ。
写真だけ見るとエンジョイしてるように見えますが自分が離れれば誰も寄ってくることはなく、いつも孤独でした。
個性を大事に、と言うよりは無理して誰かと繋がってる必要はないってことです。
結局適当に合わせてワイワイやってたって孤独なんですよ。
でもね、そんな私にも大人になって深い付き合いのできるかけがえのない友達ができました。
素の自分を受け入れてくれるから一緒にいて楽しいし楽です。
その代わり人数は少ないです。
その友達がいろんな人達との付き合いに誘ってくれますが人見知りだしいつも断ります。
端からは損してるように見えるでしょうが、気を遣う上辺だけの付き合いが好きじゃないのでこれでいいと思ってるし気が進まないものは進まないとハッキリ言います。
なので無理強いしません。
お誘い自体には感謝してますが。
あなたにもそんな友達ができるといいですね。
大事なのは人数じゃなくて質ですよ。
ななしさん
普通の基準って
誰が決めたんでしょうね。
私たちが考える
普通っていうのは
一人一人捉え方が
違うと思います..
だから
「個性が強いから
普通じゃない」
って言うのは
何か違うと思います...
周りに色々言われるから
\"普通じゃないんだ\"って
思っているあなたの事を
普通の人だと思う人も
いるかもしれないですよね?
私は私たちが普段
何気なく使っている
普通という言葉によって
辛い思いをする人も
いると言うことに
今勉強している
人権学習で初めて知りました。
普通の基準は
自分の中で一応
持っていた方が良いと
先生は言っていました。
普通って何だろう?
普通って言葉
よく使ってしまうけど
一度普通について
考えてみる事も
大切だと思います!
普通という言葉も
捉え方によっては
差別用語になっちゃうんですよね...
そして思うのですが
考え方によれば
普通になりたいと
思っているあなたは
十分普通の人間
じゃないのかな??
もしかしたら
あなたの周りの人が
普通じゃなかったりして。
普通の基準なんて
人それぞれだし
この問いに
正解なんてありません。。
辛い思いをされてきた
みたいですが
あなたも周りの人も
みんな同じ人間だよ。
世の中を
普通と普通じゃない…
になんて
はっきり分けれないと
私は思います...
そう思う
あなたの気持ちは
全然ダメじゃないけど
個性がなかったら…
なんて思わないで。
グダグダだし
余計なお世話だったり
見当違いな事
書いてたらごめんなさい。
最後に...
私はあなたの考え方を
否定しているわけでは
ないですから´ω`
通りすがりの高2 女子
ななしさん
>やっぱり僕は普通になりたい。人に基準を託せば、そこに疑問を抱かなくていいんだ。小さい枠な捕われていたら何も考えなくて済む。
私は、あまりこういう考え方は好きではない。
自分自身で考えることを、はなから放棄しているので情緒も育たない。
(この場合の普通=他人に丸投げ)
映画を見ても本を読んでも何も思わない・・とありましたが、
非常に関係あると思いました。
個性個性というけれど、人間は親兄弟でさえ、全員別の人で、別の能力を持っています。(一長一短で)
生まれつき持っている個性を、なんでわざわざ他人に向かって
「大事に」なんて言う必要があるのでしょうか?
個性を大事に・・は、私の思春期頃も、特に持てはやされていた言葉だったので、真に受けて現在、このザマです。
それと、主さんは、「自尊心」と「個性」を混同されているのかな?とも思いました。
ここまでは私が思うことです。
でも、私はあなたではないので、
>それがだめ?
僕が普通になりたいのは個性じゃないの?
なんて、お伺い立てなくても、自分が正しいと思う道で
好きなように生きればいいじゃないか、とも思います。
誰かに「キミの考え方は「普通」だよ」って言ってもらえないと
=「普通」、と認識出来ないから、
次に進めないのでしょうか???
私は、それこそ、普通だろうと、個性だろうと、
自分の生き方は、迷いに迷っても、最後の最後には
自分で決めるのが「普通」だとも思うよ。
まいたん
ななしさん
普通になりたい、ねぇ…
自分でそう言う時点で、既に自分で自分を特別視してるじゃないか。
ななしさん
普通なんてあって無いようなものなので、それを追いかけるのは不毛かなと。
平均でいよう、いようとするのは、結局人よりも神経質ってことですよ?気にしすぎだし、人はそこまでちくちくあなたにチェック入れないです。
ななしさん
私もそうだよ。
残念ながら(?笑)、大人になっても、普通にはなれません。
でもその個性は、自分がただ生きているだけで、周りの人に刺激を与えたり、心のどこかを癒したりできる、才能なんだって気づいた。
あとね、「生きづらい、普通になりたい」って思って生きてる人、実は意外とものすごいいっぱいいるよ。
だから、あなたもある意味とっくに普通かもね。笑
たいへんなこともあると思うけれど、どうにか生きのびて。
その先の景色は、とってもすばらしいよ。
ななしさん
平均を目指していては平均には届かない。
平均位置に立ちたいなら平均より上を目指さなければならない。
人は大抵目指した位置より数歩低い足場で落ち着くもの。
スポーツや受験勉強と同じ、常に上を目指さなければ置いていかれる。
普通が一番難しい。
ななしさん
周りに合わせよう合わせようってしてると、自分の意見がなくて逆に浮いちゃう気がしますけども。
自分の気持ちまで周りに合わせてたら潰れちゃうよ?
ななしさん
いえいえ。
自分を普通じゃないと思いこんでいる=自分を特別視している。
充分過ぎる程普通ですよ~
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。