僻んでいるわけじゃない。
いや、僻んでいるのかもしれない。
あまりにも違う生育環境。
比べることは好きじゃない。
上とか下とかはない。
でも、うらやましい。
心の底からうらやましい。
高校生のうちから、
目指す職業がはっきりしているって
すごい。
自分が何が好きなのか知っていて、
自分が世の中に出て行くことに対して
何の負い目も持たないって、
すごい。
私とは大違いだ。
死ね、死ね、
お前なんか役に立たないのだから死んでしまえ、
汚らわしいのだから死んでしまえ、
役に立つのもどうせ今だけなのだから、
せいぜい使い捨ててやる、ありがたく思え、
受け入れてもらえてありがとうございますと言え、
そういう声が聞こえていた。
比べたくない。
自分が劣ってるなんて思わない。
わたしはわたしでよくやった。
よくやってきた。
目の前の問題をひとつひとつ
クリアしてきた。
それでも。
わたしの努力は
マイナスをゼロに近づけるためのもので、
ゼロからスタートするものではない。
「そうでなければ生きていられない」
ことと
「生きていられるけど生き方を選びたい」
ではまるで違う。
わたしに選択肢などない。
いつも背中に刃物を突きつけられてきた。
選択肢を間違えれば、
病気の症状として命に報復された。
でも、これでも、最悪なことに、
恵まれている方だ。
わたしは飲み水や飢えに困ったことはない。
骨折の経験もないし、
銃は見たこともないし、
生まれついての能力はある方だ。
上とか下とか決めたくない。
あなたは自分より下、なんて
誰かに言いたくない。
だから同じことが自分にも言えるはずで、
わたしは誰かより下ではない。
わかっているのだけれど。
苦労と苦しみ、憎しみの量と質は、
他人に測れるものではない。
幼い頃から、死に方ばかり考えていた。
道路、高い所、電車、学校、台所、
自殺できる場所を探していた。
自殺という単語を知る前から、
体が勝手に死のうとしていた。
幼稚園の頃、
思わず車の前に飛び出したこともある。
最初に自殺というものを知ったとき、
とても晴れやかな気分になった。
死ねた人がうらやましかった。
10歳にも満たない頃のこと。
周囲が初恋だ告白だと浮かれているとき、
わたしは実の父親の暴力を鎮めるために、
父親から家族を守るために、
父親と寝る準備をしていた。
祖父などから性暴力を受けていたし、
小学校でもよくそれに類することはあった、
だから意図的に見たくもない性知識を取り入れて、
暴力に体を慣らした。
12歳のとき、目を衰えさせる訓練をはじめた。
もう他人の怒りで歪んだ顔を見て、
雷にうたれたようなショックを受けるのに
耐えられなかった。
将来のことも実感がなかった。
わたしは18になる前に
死んでしまうだろうって思ってた。
18まで生きていられないのだから、
考えなくていいと思っていた。
いや、考えられるような状態じゃなかった。
能力の大きい箇所、
伸びる可能性の大きい場所は、
感受性の鋭い場所で、
ダメージを受けやすい場所でもある。
わたしはそれを、生きるために、
切って、潰して、忘れて、
それで、今日まで死ねずに生きている。
結局、一番、生き地獄の道を歩いている。
自殺はできなかった。
得るものもなかった。
からっぽになった箱、
死骸の詰まった箱を後生大事に抱えて、
誰のことも責めずに生きている。
それでも、これ以外の道は選べなかった。
自分でありたい。
生きた人間として生きていたい。
だったら、傷は全部わたしの財産だ。
感覚に嘘をついてはならない、
ひとつだって。
地獄だ。
いや、地獄の方がましだ。
地獄なら何も考えなくていい、
何も改善させなくていい。
体の大部分が動かない。
反応すれどもわからない。
何があるのかわからない。
わたしはもう滅茶苦茶で、
人としての機能の大半が壊れている。
今後どれだけ治るのかわからない。
でも、諦められないから、
わたしは自分が何なのか知っているから、
そっちの生きた道に行く。
他人からのラベリングはいらない。
人間社会にとっての立ち位置などいらない。
そんなものに救いはない。
こんな世界で育ったわたしでも、
作れるものがあるから、
きっと大丈夫。
才能がある、能力は戻る、
そう信じてくれる人がいる。
(前例もたくさんあるそうだ)
大丈夫、
自殺しなくてよかったと思えたことはないし、
これから先もないかもしれないが、
「あのとき死んでいれば、
これを作り出すこともなかったな」
と思えるようなものを作るから。
大丈夫。
大丈夫なのはわたしではなく、
わたしを呼ぶもの。
呼ぶ声が聞こえること、
そのものの声が聞こえること、
そのものに沿って生きられること、
自分ではなくそのものを信じられることを
才能というんだそうだ。
いわばわたしは巫女なのだ。