やっと理解した。
わたしには、
他人の不幸は手に負えない。
わたし自身が幸せになりたかったら、
他人の不幸を黙殺するどころか
視界に入れてはいけない。
人の心があるから
他人の不幸に心が痛む。
身動きが取れなくなる。
もう、
日常生活に支障が出ている。
生きていくために、
他人を切り捨てなければいけない。
わたしは神ではなかった。
いや、
神は人を救わないか。
人の不幸から目を背けるのは、
まるで蜘蛛の糸に登って、
下にいる人を蹴落とすような真似だと
思っていた。
違う。
これは罪悪感だ。
サバイバーズ・ギルドだ。
かつて自分が不幸のどん底にいたとき、
助けを求める術を知らなかった
10歳未満のとき、
あれほど憎んだ大人に
なろうとしている。
他人の不幸を知っていながら
自分の幸福を切り崩さない大人。
他人の願いを
引き受けてはいけなかったんだ。
願いというのは、
願った人が自力で叶えなければ
いけないものだ。
ああ、
わたし本当に馬鹿だった。
叶えてあげたい、なんて、
傲慢にもほどがある。
もういい。
弱い人とは交流を持たない。
弱い人の書いた言葉を見ない。
そうでなければ、
はねのけなければ、
弱さを肯定していることになる。
誰だって強くあれる。
無力感を遠ざけるには、
無力であることを受け入れ、
できることをやっていくだけ。
せっかく死に物狂いで
取り返した人生だ。
自分を大切にして生きよう。
素敵なものをしっかり抱えて、
いらないものは投げ捨てて、
切り落として、
やがて忘れてしまおう。
やっと覚悟ができた。
わたしは神じゃない。
どこまでも無力な人間だ。
そして、
弱い人間に都合のいい
自然のシステムなどないからこそ、
人は弱くても生きられるような
世界を作ってきたのか。