昔から『努力あっての結果』と、よく言われてたし昔は自分もそれを信じていた。でも今はそんなのは健全な心身を持ってる優秀な人の、上から目線の綺麗ごとだったと確信を持って言える。グレーのADHDを抱え、無理やり健常者の中で頑張らないといけない状況で、自分は勿論上手くいっていない。そして、その度に言われる「手抜き」「甘え」「もっと努力」と言う言葉の数々。
努力は後から付いてくるもの、結果を出せた時だけそれまでの過程が全て努力になる。そうでなければ、当人からすればどれだけ苦しい思いをしても怠慢を働いたダメな存在と言う扱いしか受けない。そうなりやすい障害を抱えていようとそんなのお構いなし。そっちの方が周りはただ咎めるだけで済んで楽だし、更に言えばそれに合わせて暴言の一つもぶつけてやればストレス発散にもなる。立場的に自分が圧倒的に有利なのだから、パワハラにならない範疇なら言いたい放題、やりたい放題だ。
周りも憎いが『自分』も憎い。なんでよりによってこんな冷たい時代に、何十億人と言う人間の中で『自分』と言う存在なんか生まれてしまったのか・・・明らかに50%も無い様な低確率の不幸、それもその後の人生全てが苦しくなるような内容の不幸を、生まれた瞬間につかみ取ってしまったのか・・・
能力も無い、頼れるものも無い、トドメに運も無い。無い無い尽くしで「無いものねだりをするな」と言われてしまえば、何も求められなくなる様な自分。
ほんとに全てが嫌になる。周りも世の中も、もちろん自分自身も・・・