心の通わせ合いができてるように感じる小瓶を見て、
自分の心が酷く冷めているような気になる。
“特別”誰かのことを本気で思ってなどいない……というか思うことができなくてもいいのか不安。
うわべで言葉を紡ぐことしかできない自分がはたして愛されるのか。
……いや、もしかしたら(もしかしなくとも)
表面上の付き合いのほうが多数派で、ぼくのこの空しさや悩みは気にしなくていいものなのでは?
なーんだ。
冷めてて大丈夫か。
いつもだいたいひとりで解決しちゃうから、他人の入る隙がないの。私が人に相談しないのは、私より私のことを考えてくれる気がしないから……かな。
だからいつだって、相談じゃなくて雑談なんだと思う。
「死にたいんですけどどうしたらいいですか?」って、真面目に考えるのはこっちでやっとくから、「へーそうなんだ~。でもわかる~死にたいよねー」くらいの返しでいいんだと思う。
疲れるの知ってるもの。
その問題に真面目に取り組んで努力して、解決に導こうとするのがどれだけ大変か知ってるもの。
めんどくさい、だるい、しんどい、くるしい、つらい、なきたい……しにたい。
だから楽してほしい。
こっちが小瓶でスッゲー真剣に悩んで小難しいこと並べ立てて……に合わせてお返事煮詰めてこられるより、場違いに「いいね♪」される方がいい時もあるかもよ?あくまでボクの場合の話なんで、他人に適用して怒られてもしりません。
見当違いの言葉も悪くないという話。
たとえば頭を「死にたい」が占領してて、で、的外れな言動を見聞きしたときに一時「死にたい」から「的外れだなあ」になるのってなんかよくない?
ほんの一瞬、べつの苦しみ、悲しみになるとか……そういう変化がおもろいじゃん?
人間って簡単に意識持ってかれる生き物だと思うんだけど、どうだろう?
自傷も、何かから逸らす手段だったり。
あーほんと、なんか、ぜんぶ、しあわせだなあ。
よし!
本日の雑談おわり!