非常に遺憾であります。
先日学校に「情報」を送りつけたことを話した。
しかし、犯人共は今日も元気に学校に来ている。
私が一喜一憂したあの「情報」は無価値で無意味であったのだ。
流石にもう一度送るようなことはしない。
そこまで私は陰湿でも、悪でもない。
しかし、他の「決定的証拠」を求めて自然とトイレの個室にいる自分がいる(もちろん、本来の用途で個室を使っていることのほうが多いが)。
次こそは、とボイスレコーダーを通販で探す始末。
諦めが悪い。
そこまでする義務も意味もないのに。
某漫画のキャラクターみたく「正義という大義名分で自分の欲求を満たす」ことが目的だろう。
自分は正しいと、思いたいんだ。
そう思うってことは、自分は正しくないことを自覚しているんだ。
素直にスマホの不正使用を認め、その上で直接証拠を聴いてもらえれば結果は違ったのだろうか。
それとも、犯行の瞬間を捉えた写真でもなければ退学や謹慎どころか反省文も書かせられないのか。
証拠さえなければ何してもいいって、そんなのやったもの勝ちじゃないか。
学生のうちからこんなブラックな技に慣れろってことなのか?
疑わしいやつは二者面談、じゃだめなのか。
問題の奴らがいるクラスの子に「最近クラスで面白いことあった?」と聞くと、「面白いくらいなにも起きていない」と返された(私は「面白いことはうちのクラスにもない。うちのクラス健康体過ぎて学級閉鎖が増えている中で欠席者ゼロ」と返し、怪しまれないようにはした)。
なにもない、つまり体調不良や公欠といった普通の理由以外で突然学校に来なくなったやつも、問題の奴らが先生にお説教されてもいないと解釈できる。
私の期待と不安は、凡て無駄であった。
ここまで書いて冷静になったが、無駄に警戒しすぎだし被害妄想気味。我ながらなにか精神患ってそうな文章である。