もしも、今私が首を吊って息の根を止めたら。
私の愛する人たちは、一体どうするんだろう。
笑うだろうか。泣くだろうか。怒るだろうか。それとも眠るだろうか。
そもそも気づくだろうか。
死んでみないと分からないが。
それでも時々、そんなことを考える。
笑ってる私しか知らない人は、
きっと驚くだろう。「なんで」って、思うだろう。
泣いてる私しか知らない人は、
きっと「あぁ、やっぱりか」と。そう思われるだろう。
両方知っている人は、どう思うのか。
喜ぶのか、悲しむのか。
きっと、私のことだから、前者の方が多いだろうな。
あれ、
最後に誰かの前で泣いたのは、
いつだっけ。
死にたいって言えたのは、
いつだっけ。
思い出せない。最近、あの子の前でも泣けていない。
泣くときは、いつも1人きりだった。
どうしてだろう、私の周りには沢山、愛する人が居たのに。
この愛が、一方的だったからだろうか。
「演じてる」だとか、そんな厨二病なことは言わないけれど。
心の底から死にたいって言えたのは、いつだっけ。
もしも、私が何も言わなくなったら。
居ないも同然になったら。
私は、私の、存在意義は。
どこにあるんだろうか。
この小瓶にはお返事ができません
つむお姉ちゃんもこんな気持ちになることがあるんだね。
僕ね、この前学校で聞いてみたんだ。
「自分が死んだら誰かが泣いて悲しむと思う?」
ってね。
それで帰ってきた答えがね
「ううん。誰も泣かないと思う。」
だったんだ。
その人ね、学級委員なんか毎年やっていて、凄い明るい子だと思ってたんだ。
だけどね、違ったんだ。
皆ね、演じているんだよ。
世の中はね、演じていない人なんてほんの一握りしかいないんだよ。
演じているっていう=中二病なんて決めつけないで。
死にたいっていっていいんだよ。
泣いたっていいんだよ。
つむお姉ちゃんの存在意義はここにあるよ。
つむお姉ちゃんがいなくなったら、悲しいよ。
多分僕は毎日泣くと思う。
学校でも泣いちゃうかも、
とにかく僕はつむお姉ちゃんの事が、大好きです!
一緒に生きよう。
頑張ろう。