「死にたい」って思い始めて20年くらいだとして……
10年くらいはひとりぼっちで抱えてて、たぶん誰も僕が『こんな人』ってよく知らなかったと思う。自分すらよくわかってなかったと思う。
残り10年は、精神科の先生に知ってもらって、ひとりぼっちで抱えなくなりました。今も継続中。
そして
ここ3年くらいは、宛メの人たちに知ってもらってるのかな? なんて思いますね。
不思議ですね。
なんか、知ってもらってるとすごく楽です。「死にたい」こととか、人付き合いが煩わしくて好きじゃないこととか。わかってると、距離取れたりするじゃないですか。取るっていうか、計る?
『いつも元気!』っていう人がいたとして、自分の今の気分や体調からしてその人と会えるかどうか……みたいな。
この人は言葉が丁寧だから、荒れた気持ちの時に読むと落ち着いて良い感じ!とか。
この人は言葉が鋭いから、尖った気持ちの時に読むと良い感じに刺さって好き!とか。
……わたしの特徴は、いったいなんなのか。
無茶苦茶でしかない気がする。そもそも他人はそんなに他人に興味があるのか。いちいち分析して人と関わるより、行き当たりばったりが基本ではないのか。誰がこんなに考えるのか。
とりあえず、やってみてダメだったら落ち込んで。良かったら気分上がる。そんなもんでは?
失敗ばっかりしてる。それでも命尽きることなく、日はまた昇るのだ。気分もなにもかも下降してても。世界も世間も待っちゃくれません。だから私は歩きます。それがたとえ現実逃避の方向でも。空想の中だけだとしても。変わらず、地球は回ってくれるから。関係ないのよ。ボクが立ち止まってる間も、皆働いてんだからさ。ボクも動くしかないの。一生懸命、自分の人生歩くしかないの。他人や自分に邪魔されて身動きとれなくても、勝手に進んで傷だらけ。やれることをやろう。大丈夫。『生きる』っていう基本はなんとかできてる。本当になんとか。それができてるから苦しくもあるが、それさえできていれば楽になれる可能性や幸せになれる可能性は0%にはならない。
無理するよ。無理してでも生きるよ。
だって、明日も貴方にぼくを知ってもらいたい。
明日も、君のことを知りたい。
いつの間にか助かってるほどの長い時間をどうか……僕と共に、生きてください(生きられますように)――――