昨日、一生懸命頑張って……でも今日も、一生懸命頑張らなきゃいけないんだ。何かをしないといけない。しなくてもいいことではある。でも『する』と決めてる。『頑張る』と決めて、私はそれを実行できる。休みはしない。休むのは『休む』って決めた時にするから。あるいは『頑張る』ことをしていない時は休めているのかな……?
ところで、今日もぼくは「お返事を書いてあげたら少しは心が救われるかもしれない」と考えつつも『書かない』選択をしました。
見て見ぬふりをしている罪悪感。
今日もどこかで誰かが死んでいる事実。それは理不尽なものか、天寿を全うしたものか。
「誰も助けてくれなかった」と、恨み亡くなった命。
『死ぬことを幸せ』とし、この世を去った命。
いろんな形で皆どこかに逝ってしまう。ぼくもいずれ……
時折思い出し、悼み、冥福を祈る。冥界だけではなく、皆が生きる世界の平和、自分自身の幸福も合わせて祈る。
悲しいのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。
何もしてあげられないわたしの、せめてもの抵抗のようなもの。ちゃんと祈ろうと思えば、それもそれなりに努力が必要だ。だから、わたしがするのは、想像上の祈り。空想のおはなし。
『口だけ』と捉えてもらってかまわない。
自分が楽をするために、『人を助ける』なんてめんどくさいことはしない。見て見ぬふりが楽。ヒーローに憧れはあるけど、ヒーローの気質ではない。ボクは一般人です。
ここ(宛メ)はね、みんなの『頑張り』が見える、見れる場所。世界の一部。見えるものがあるから、見えないものの存在も考えられる。テレビで大きなニュースがやってたら、その影に隠れた存在も考える。いつもわたしが見ているのは、いつだって、全体のほんの僅かな一部なんだ。
そして、そもそも見えないものがある。見えないと、表も裏も考ようがない、感じようがない。世界の闇。
だからこういうところは大切です。忘れずにいられるから。いつか救いたい者。救わなきゃならない者。大切な人。命。
覚えていれば、いつか何かできるかもしれない。
何人もの命や、心が削られてきた。大切な人は失った。救えなかった。絶望して、どうでもよくなっても……同じような人間がいることを知っていれば、いつか立ち上がれるかもしれないから。大切な人の代わりにはならない。それでも、その人を大切に思う心は、僕が愛した人に向けたものと近しいエネルギーがあるはずだから。
前を向こう。
時折後ろを振り返って、生きた軌跡に力をもらおう。
下も向いていこう。地を蹴って進む僕らにとって、足下の安全は大事だ。
あの、これ…… 創作物って感じで……
ちょっと自分とは乖離してるとこあるんで、あんまそのノンフィクションとして受け取らないでもらえると助かります。まあ、ボクの小瓶はわりといつもそうかもしれないですが。
何信じていいかわからなくなってもらっても、ボクとしては構わないからなあ……
おしまい
本日も長文お付き合いいただきありがとうございました。
お疲れ様でした!