何もする気が起きないのが、うつのせいか
ただやる気がないのかわかればいいのに……
なにが原因なのか。なんなのか。
寒いせいか。だるいからか運動不足か。
食べ過ぎか。体の不調か心の不調か。
ぼーっとしてるのもきもちわるいからこうして文を綴っているけれど、この瞬間もすごくいやだ。
死んでしまいたいし、死ぬべきだし、
誰かが悲しむのも放っておいてただ逃げ出したい。
生きる苦痛から、どこまでも逃げたい。もう逃げられないから、死ぬしかないのだけれど。
逃げずにじっとしてても逃げてても、ずっと苦しい。生きてる。しょうがない。
ぼくの日常はなんにもない。なんもおきてない。
平和そのもの。客観的に見て、痛みも苦しみも、なんもないと思う。
『何か』があっても嫌だから、ただ時間を過ぎるのを待ってることはよくある。ぼーっとして、その時間もひどく嫌なのだけれど、でもぼーっとして……
目を瞑ってただ息をしてたりして……
なんか、待ってる。死ぬの。ずーーーーっと。たぶん。
いつものことだし、そうやって何十年も過ごしてきたのに、いまだにどうしようかなって考えてる。死にたくなくなりたいって考えてる。
「死にたい」と思わなくなった人がいること、知識としては持っているけれど、とても不思議に思う。
きっと、『死にたい』と思わなくなれる『死にたい』と
「死にたい」と思わなくなれない「死にたい」があるのだろう。
そう思う原因が、解決できるものであるかどうか。
【生きること】そのものが苦痛である場合はどうするべきか。もしかしたら、運動や、規則正しい生活をすれば、その苦痛は幻想だったのだと思えるほどに回復する可能性はある。ただ、それを試して健康になるよりも、もうこのまま死んでしまいたいと思う。
だから、「死にたくなくなりたい」っていうのは、そこまで強い願いじゃないよ。それを叶えたいのなら、頑張ればいいだけだもの。
……病気なんだからしかたない。
もうすでに頑張ってるよ。
いろいろと、肯定否定意見、優しい言葉、厳しい言葉、浮かんでぐるぐる。
どうにかなれ。
石の上にも三年。「私は動くタイプ」って人だったり、「動け!」「動いたほうがいいよ」「動いてみてもいいんじゃないかな」って言う人だったり、まあいろいろあると思いますが、わたしは石の上に何十年も座って動かん人というだけのことよ。仮に、その結果余計に苦しくなろうと。一切好転の芽が出てこなかろうと。その石のせいで自らの本当に叶えたい願いっていうのを潰してようとね。
残念ながら、ひとりじゃ、こっからは動けないっす。
さよなら、ぼくの明るい人生、未来。
さよなら、いろんな夢たち。
普通に働いて、普通に生きてく自分よ、さようなら。
ぼくは無職引きこもりの、家族に養ってもらう甘えんぼうさんです。
そして【死にたい人】
それで生きられる奇跡に乾杯。
……ほんと、なにやってんだろ。
ななしさん
主さんは自分と似てるから、共感できるところが多い。たぶん同じ考えで苦しんでると思う。
生きるには金がかかる。その為に人は働くんだけどね。僕らにはそれが中々理解できない。学校行く意味みたいなものでさ、子供時代は勝手に人生がある状態だったけど、大人なると何しても良い状態になってしまう。
僕達は野原を歩いているのと一緒で、エサもないし、何してもいいし、あるのはどこ歩いても良い道ばかり。不安定な自由なんだよね。
昔は鎖に繋がれてたんだよ。決められた時間にエサがあって、やらなければいけない事が必ずあった。それでもそれをしないといけないとダメと思ってた。安定した不自由があったんだ。
そこから抜け出すには、僕は村にまた入ってその掟に従う事なのかもしれない。
でも嫌だよね。強制的にしようとしたら。それが嫌で嫌で仕方ないから今なんだよね。