ななしさん
あのね、はじめてのお返事でこんな事いうと、嫌われちゃうかもしれないけど、言うね。
休めばいい、は綺麗事じゃない。
わたしもね、はじめはそう思ってたの。
休んでる間にどんどんおいてかれて、社会のレールから離れてく。成長できないままのわたしはどうなるんだろうって。無責任にみんな無理するなって言うけど、それはわたしがどうせ頑張れないって、頑張っても無駄だって、思ってるからなんじゃないか、って。他人事だから、わたしが成長できないままでも、関係ないから、そう言えるんじゃないかって。
動けないまま、みんなに怠けてるって、クズだって言われたり、自分でもそう思うから簡単に死にたくなるし、変わりたくても、これ以上自分を壊してまで変わりたくないから、それで、がんばり方もわからなくなっちゃって。自分のことただ責めることで、バランスとってた。
だけどね、あるとき、できないときは休むことにしたの。
周りにやんや言われることがなんだって言うんだろうって。自分のこと、楽にしてあげることのほうが最優先じゃん、って。嫌われたって、厭われたって、動けないもんは動けないし。無理ができなくなっちゃったんだもん。しょうがないよね、って。
やすんで、できることだけに絞って、「やばいな」と思ったら休憩する。
調子を、戻す努力をすることにしたの。
頑張れる状態に戻せるように、整えてあげようって。
そのために「ぼ~っとして、何もしない」時間がひつようなの。整理のための自分のための時間。その時間を持つことに罪悪感かんじてたら、休めるものも休めなくなっちゃう。
どうせクズだって思われてるんなら、クズだってことがバレたってなんの問題もない。てか、クズとかそうじゃないとかどうでもいい。わたしはわたしだし、社会は社会。色んな面があるのが人間でしょ。どう思われてたって、同じわたしで、変わらないんだから。
いっそ、もっと自分勝手になってみようって、「ここからは無理、ここまでなら」って主張しようって。頑張りたくなるまで、遊んで休んでみようって。気が向くのを待ってみようって。
ハードルをさげたらいいんじゃないかって。
同調しすぎずに、一歩ひいて、わたしはわたしって、分けて考えてみようって。
それで、調子が戻ってきたら、バランス見ながらどこまで抑えて妥協するとか、どんなふうに開示してくかとか、探っていったら、それでいいって。
社会はそうだよね。過去で判断する。
でも、いまのあなた自身を見てくれる人もちゃんといるよ。そういう人に見つけてもらえたら、なんとかなる。
仕事だって、今の時代いろんな選択肢があって、会社に勤めなくても、なんとか生きていける。
社会なんて、まやかしなんだから。
やすんでいいんだよ。
体力を戻すの。
綺麗事じゃない。
ほんとに、休むことが効果的だから、
そうしてほしいの。
調子を、戻すのに、うしろめたさなんか、いらないんだから。