私はきっと、想像することが好き。
これから書く文章は自分勝手だし幻想に過ぎないけれど、ひとりごととして海に流します。
よく想像する。
宛メの浜辺をただ1人で散歩して、
海を眺めて風を感じること。
たまに小瓶を流したり、流れ着いた小瓶を拾ってコルクを開けて中の手紙を読むこと。
私は、1人1人別々の海や浜辺があると
勝手に想像している。
その海には自分1人しかいない。
私がいる海は小さめで、閑散としていて
とても静かで、お散歩できる堤防がある。
波際に近いところには少し大きくて、
暗めの茶色い年季が入った木箱がある。
下の方は砂に埋まっていて、蓋を開けるとこれまで私が流した小瓶が入っている。
私は木箱を机代わりにして、今日も鉛筆で
誰にも言えない想いを紙に込める。
羊皮紙に憧れるけど、持ってないから普通の紙かな。
書き終わったら小瓶のコルクを開けて、
紙を丸めて、
小瓶に紙を入れて
コルクの栓を閉める。
そして波際に歩いていって、
小瓶を静かに海に流す。
水平線に泳いでいく小瓶を、
見えなくなるまでぼーっと眺める。
そのあとはお散歩をしたい。
潮風を感じて、空気を感じて、
波の音に耳をすませる。
波が行き交う砂浜の上を、ぱしゃぱしゃしながら歩いてもいい。
堤防の上を歩いて、遠くの水平線や沈んでいく夕日を眺めるのもいい。
そしたら海に
小瓶が流れ着いていることに気がつく。
私は堤防を降りて
その小瓶を拾いに行くんだ。
最近流れた小瓶もあれば、
何年も前に流れた小瓶もあるだろう。
私は心のままに小瓶を手に取って
木箱の横に戻る。
コルクを開けて、
中の手紙を読む。
その小瓶には
遠い誰かの想いが込められていて。
その紙に、時には涙の跡が
あったりするかもしれない。
この海に流れてる小瓶は、
その人の大事な想いをのせて
今日もどこかの海に流れ着く。
私はたまに、気が向いた時に
お返事をその小瓶に入れて
海に戻す。
私は海を眺めながら、
荒波に揉まれて
どこかに流されてしまったり、
深く深く海底に
日の届かない暗闇に沈んでしまった
小瓶たちに想いを馳せる。
また、私の小瓶箱にあるのと同じように
海に流していない小瓶もあるのかもしれない。
私は海を泳ぐことができないから
その小瓶たちには届かないけれど、
その小瓶は、その想いは
私の見えないところに存在している。
そんなことを考えて
私の1日は終わる。
あともう1つ想像するのは、
ライ麦畑。
「ライ麦畑でつかまえて」を読めていないので詳しい想像はできないけれど。
このライ麦畑にいるときだけは、
子供に戻っても許されるのかもしれない。
大人の仮面をやめても
許されるのかもしれない。
心のままに過ごすことが
許されるのかもしれない。
前は走り回ってる子達と一緒に
追いかけっこをして
走り回っていたけど、
今はライ麦畑の端っこで
それを眺めて、
ライ麦畑や風を感じて、
毎日移り変わる空を見上げて、
1人ぼーってしてるのもいいかもしれない。
元気になったらたまに
走りにいってもいいかな。
鬼ごっことか大好きだったな。
私はこの宛名のないメールという
概念自体がとても好き。
なんて素敵なサイトであり、
なんて素敵な海だろう。
この海にいさせてもらえることに感謝をしながら、私は今日も1人きりでお散歩をする。