過剰に人を求めてしまう
過剰に愛が欲しいと思ってしまう
もちろんそれを態度や行動に出したりはしない(ここ重要)
他人に迷惑がかかるからというよりも
自立したいからという気持ちがあるのだが
それでも淋しくなる
母親からの手作りお弁当を毎日食べている人のことが羨ましい
が、それは私が勝手に『あれは母親からの手作りお弁当だ』と決めつけているだけであって
実際は食べている本人が早起きして作ったお弁当だったりする(実話)
大人数に囲まれている人や友達のいる人のことが羨ましい
でもそこにいる人はみんななにかしらの努力を重ねているわけで(これが努力だと認識していない努力)
そう考えると私はなにもしてないなー
と、ふと思う
美人やイケメンを僻む人がいるけど
美貌に気を使っているのだと思う。本当に美人な人は(表情の美しい人)心も綺麗だったりする。
陰で見えない努力をしているのなら
短絡的に僻んではいけないな、と思う。
話がずれたので戻します。最近になって、誰だって見えない努力や苦労をしているということを改めて感じた
(無意識の努力も含めて)どうしてもその人の派手で劇的で綺麗な部分に目が行きがちだが
そこに辿り着くまでどれくらいの辛酸を舐めたのか。泥水をすすったのか。
大袈裟かもしれないが、本当にそう思う
だから求めるばかりではなく与える側になるべきだなあと感じるんだけど
それでも辛い時は辛い