怒りを感じたその場所が家や職場だと出力を多少調整して表に出すことができる。(甘えてるのかも)
けれどその場所が変化した途端、選択肢が一つとなってしまう。
それは病院、役所、飲食店。
いわゆる"外"では我慢する一択となってしまい、その後本当につらい。
なぜあの時こう言い返さなかったのか。
自分がなぜ我慢しなければいけないのか。
こうすればよかった。
あぁすればよかった。
思考が不快感をおったその時にとどまってしまって抜け出せない。
悔しくて涙がでてくる。
表に出さないということは、自分の中でうまく消化しなければいけないのに消化が下手くそすぎる。
では表に出せばいいと思うがその選択肢はあまりない。
信頼関係のない他者は怖いから。
無敵の人もいる。
正論をぶつけて暴力で反撃する人も世の中にはいる。
だからその場は我慢して立ち去るけれど、数秒後に涙がとまらなくなる。
後悔から憎しみに感情が変化していき、もう会う事のない他人への報復や不幸を願ってばかりいる。
そんな思考に支配される自分の情けなさにもまた涙する。
自分は1人ではない。そう思えるからこそ他害、報復はしないが、それをまた我慢している辛さから涙がとまらない。
やられたらやり返したい。
なぜ我慢しなければいけないのか。
我慢せず怒りの感情に身を任せた言動を行った場合の最悪なシナリオを恐れすぎなのかもしれない。
銃社会ではない日本では相手に突然発砲されることはないだろう。
だけどおかしな人はその辺にたくさんいる。
ここでのおかしな人間は「議論の成り立たない人。議論した結果互いの非を認め謝罪できない人。傷害、暴行、煽り運転など法を犯す人。」
曖昧で主観的なのは自分が我慢するのはこのような人間がいることを想定しているからだ。
とはいえ自分も おかしな人 の1人だ。
行動に移す事はないが考えることはある。
不快感を与えてきた他人が子どもを連れていたら、『親の目の前で子どもが◯んだらいいのにな』と自分の思いつく最大限の不幸を願って祈っている。
でも本当は許したいし忘れたい。
そんなことに感情も思考も時間も奪われたくない。
理不尽な目にあった人はどう感情と折り合いをつけるのだろうか。
滅多に起きないが5年に一度ぐらい、この様な他人様に出会い心がぐちゃぐちゃになってしまう。
理由はわかっているがそのストレスとの向き合い方がわからない。忘れたい。
ここまで書いて思い至ったが、自分はスッキリする手段がやり返すしか持ってないのかもしれない。
やり返す、反論する。
正面から相手と対峙した場合のみ自分はスッキリするのだ。
ただ知らない人間とこれをやるほどの冒険心は自分にはない。話の通じない人。反論された事に激昂する人。暴力を振るう人。
事前にそれがわからないからだ。
そこで我慢して立ち去る。
この後が問題なのだ。
この理不尽な感情、モヤモヤ、いらだち、怒りをどう鎮めたらよいのか。
時間は確かに解決する。間違いないが、自分は10年くらいかかる。当時を思い出して涙が出てこなくなるまで10年。
その間ふとした拍子に涙することになる。その時間があまりにも無駄なのでさっさと消化したい。