生きてたって良いことなんてなにもない。
貴方の思う『良いこと』ってなんなんだろう?
それがわからないと、提供もできないし、生み出すことも叶わない。
言ったところで無理なことであれば、どうすれば無理でなくなるかを考えないと……
君に『良いこと』を感じてほしい。
知ってほしい。『それ』が存在することを。
なんてマジうるせーよなあ!
わかるわかる。
綺麗事さいあく〜ウェェー(´Д`)って感じ〜
わかってんだよ……
この世界にもう『希望』なんて見出してないんだ。最初から無かったのかも。
死を『ひかり』にできるならまだいいよ。
死すら『手の届かないもの』として無くしてしまったら……
本当に、どうすればいい?
恐れているのはそれだ。
だから『良いことなんてない』って『絶望』にこの身を託した。
これは誰の話?
僕の話?貴方の、君の話?
わかる人にしかわからない『しあわせ』を、ぼくは感じられる。
洗濯物をベランダに干す時に感じる風に、外の空気に、『それ』を感じること。
そんなことで幸せを感じられて羨ましいと思うかもしれないね。
でもこの『しあわせ』が、長きにわたる引きこもり生活で手に入れたものだとすれば……?それは、本当に羨ましいのだろうか。とも思うわけだ。
その引きこもり生活中、そして今もなお、「死にたい」と思い続けることが条件だとしたら……?
そういう細かいことを、みんな持ってるんだろうけど、わかんないから難しいね。
安易に、表面だけ羨望しちゃう。
「良いことあるよ」の中身が、物凄く詰まっているのか表面だけなのかなにも伝わらない。その人の言う『良いこと』がなんなのか……まったくわかんないんだ。
どういう人生を経てその言葉を発しているのか考えられるほど、考えられる人っているのか疑問です。
疲れるから、わざわざ作んないよ。その人のバックボーン。
わざわざその『一言』に、あれこれ詰め込まないよ。めんどくさい。
そういう時は、「うっせえ、バーカ」でいいと思ってる。まあぼくは、心の中かな。心持ちの話。
余裕があったら、考えてあげる。
君が傷付かないようにとか。
君の気分を害さないようにとかね。
あなたの『良いこと』見つかるといいね。
「良いことあったーーー!!!」って思えるように。
そして有りつづけたらいいね。
そしたら君だけの「生きてたら良いことある」の完成だ。君にしか深く知り得ない、『それ』の完成だ。
……うーん、相変わらず何を言っているのか。という文章が出来上がってる。
まあ、こんなもんだな。
おしまい