ネットで「死にます」的な旨の文言見かけて、さらっと「うん。さよなら」なんて心の中で言って、それを書いてる今すごく息苦しさを感じる……
自分の冷たさに震えてしまう。
本当に死ぬかはわからないし、もう死んじゃっているのかまだ生きているのか……なんにもわかんないけど
この息詰まる感じはなんだろうか。
死にたい人間は死んで、楽になったらいい。なんて考えがあるのは、わたし自身死にたい人間だからだと思うが……
でも人間だし、「死んでほしくない」って考えも持ってる。
生物として、命に関わるようなことに反応が起きるのは正しくて…… それで……
どう、したいんだ?
どう、なってほしいんだ?
無理して、生きなくてもいいとは思う。
でもそれで
無理して、生きなくてもいい。ということをじゃあどうする? という話で。
死ぬ。ってなって でもそれも
簡単にできるものじゃなければどうする?
だから「うん。さよなら」ってして、死ぬことができるなら、なんかそれは…… 今すごくこれ書きながら胸が痛いですけども、でも…… 死にたいなら、死ねばいいと思うという冷たい言葉を、めっちゃ無理して息絶え絶えに言う方が、死なないでよりは自分らしいというか……
「もういいよ」って思う。
「もう、いいんじゃないの?」
だって、頑張って生きたか。なんにも頑張れなかったか。なんかいろいろあるんでしょう?
知らないもん。他人の人生だし。
それともなんなんだろう?
生きたいのか。
生きたかったのか。
毎日人が死ぬ世の中で、いちいち悼んでなんかいられないし、ぽっかり空いた君の席は、また新たな命で埋まって埋もれてく。
今ぼくは、その席に、座りたいなぁ。
座って、
今ぼくは、ぼくが救えなかった命の席に座ってるんだ。って、その重みを感じたいなぁ。
もしぼくが殺したんだとしたら、サイコパスみを感じる。
絞り出した「死にたかったら、死んでも……いいよ」なんて言葉で殺人鬼になってしまうのは嫌だ。
こんな言葉で誰かが死ぬのは嫌だ。
死ぬための後押しを、なんでしてあげなきゃいけないのか。怖すぎるだろ。
押したらそれは、自殺幇助じゃん。
押すんじゃなくて『止めない』って話だな。
いや、話しかけて止めてるって見方が一番いいかもしれない。
「うん。さよなら」って言って、「え……いいの?ほんとに死ぬよ?」なんて会話成立したら、空席になるはずだったところの隣に、僕が座ったかたちになる。
「もういいよ」
「他愛ない話をしよう」
「他愛ない、死にたい話を」
そのための
「うん。さよなら」
だ。
(※わたしはあまり人と会話を交わしたくはありませんので、あくまでこちらは空想になります。ご了承ください)
ななしさん
死にたいなら死ねばいい、冷たい言葉です。
本当に死にたい人と、本当は死にたくなくてただ励まして欲しい人。
見分けはつきません、前者だと止めるのはお門違いですし、後者なら止めないのは悪手です。
私の持論ですが、
死にたい理由を詳しく聞いて、そこで「よく頑張った、お疲れ様」と「まだ死ぬ決断には早い、もうちょっと生きてみようよ」と自分の心がどっちになるかで言葉を変えてあげるのが一番だと思います。
小瓶主さんみたいに「自分はなんて非情なやつだ」となってしまうことは私にもあります。
でもそれって心が「その判断は間違ってる」と判断した結果なんです。
自分の心に正直に接して、そのうえで他人のことに向き合って下さい。