世の中で私の感覚ほど信用できないものはない。私の感覚はどうも、人とは違うらしい。
親には「空気が読めない」「ズレている」と言われ、教師には「マイペース」と言われ、友人には「天然」と言われる。
言葉は違うけれど、皆言っていることは同じ。『私は皆とは違う』
他人に言われるだけでなく、自覚もしているの。私は人の気持ちとか、一般常識といったものが、どうにも上手く理解できない。ASDかな、とちょっと思っている。
私は空気が読めないことについて叱られる時、大人によく「人の気持ちを考えろ。」と言われてきた。「自分だったらどう思うかを考えなさい。」
あのね、私はいつも大人達の言う通りにしたの。いつも私なりに人の気持ちを考えた。「私だったらこう思う。こうして貰えたら嬉しい。」そう考えてきた。私が正しいと思う行動を、いつもしてきた。だから変だなと思っていたんだ。言う通りにしているのに、なんで叱られるのかな?って。
中学入ってからようやく理解した。私はどうも、人と物の感じ方や思考回路が違うらしい。
でも、私もいつまでも子供ではない。私なりに、人の気持ちや常識を学んできた。自分の経験、他人の説教、道徳の授業(私みたいな奴がいるから、この授業は大事だと思うよ。)……色々なところから学んだ。良かったのは本とか漫画とか、ドラマ。これらは私の良い先生だった。
「こういう状況ではこう振る舞うべき。」「こういう状況で人はこのように思う。」そういうのを、ひたすら知識として、データのように蓄えた。おかげで、私もだんだん、皆と同じ様に振る舞えるようになってきた。
でもね、やっぱり私の本質は変わらない。どんなに取り繕ったって、私の神経の根っこの根っこの部分が、そもそも他人と違うのだ。直面した状況が真新しいものだった場合、私は対処できない。
それにね、時々虚しくなるの。まるでロボットやインターネットのように、蓄えたデータを元に、周りと同じになるように計算してばかりの自分が。
酷く無機質に思える。
ねぇもう一つ良いかな。
孤独なんだ。人の気持ちが分からないって。どうしようもなく孤独なの。この孤独感を、理解してくれる人はいないのだろうなって。皮肉なものだよね。「人の気持ちが分からない」私が、「私の気持ちを分かって貰えず」孤独感を感じる。あぁ、寂しいな。