惰性の日々を過ごしてきました。
何をしても全力になれない。辛さに耐えられなくてすぐに逃げる。その結果が今の人生です。
何をしても頭にもやがかかっているようで考えられず、何をしても決して秀でることは無い。その割に取り繕うのは上手で、期待され失望される。私の人生に意味なんてありません。意味なんて見失ってしまいました。
そんな最低最悪の私の人生をここに綴ろうと思います。きっと誰かを傷つけてしまうからとずっと留めてきた本音まで全て。
私は、いたって普通の家庭に産まれたのだと思っていました。きっと何も知らない幼い自分は幸せだったのだと思います。当然のように周りの大人たちを信じ、愛されているものだと思っていたのだと思います。ですが、時が経ちだんだんと異常さに気付いてしまいました。両親が離婚をめぐり喧嘩が耐えなくなった頃でしょうか。怒声が響く家の中で愛犬を抱き締め静かにそれを聞いていました。母に愚痴を聞かされる日々、どちらについていくんだと問われる日々。周りが両親に愛され育っていく中で私の家だけは違いました。しばらくは両親の話題になると少し萎縮していました。やがて両親は離婚し母子家庭で育つことになりました。平穏がすぐに訪れるわけもなく、薄暗い生活が続きました。母も長子も荒れ、昔から邪魔者であった私の"殺し方"を私本人を交えて議論されることもありました。補足ですが、親戚を含め出来がいい長子に期待を寄せ、出来が悪い私には無関心だったのです。
その場では強がりましたが、酷く傷付き今でも思い出すとふと涙がこぼれます。
ゆっくりと私は壊れていきました。成績が長子にほぼ並んだ時、周りの反応で長子より劣っていないといけないことに気付き、長子を引き立てないといけないと幼い自分を模してわがままに振る舞い、空気が読めない振りをして、大人の顔色を見て、自分を自らの意思下げていきました。これではまるで今の人生を長子のせいにしているようですが、私はそうは思っておりません。結局は全て自分の、周りの大人のせいなのです。長子もその被害者でしかない。
すっかり周りの大人の異常さに気が付いた頃には自分の夢を抱き、自分の未来へと踏み出そうとしていました。そんな一歩を踏み出した時です。肯定的だった親の本音が漏れました。私の夢を頭ごなしに否定し理想を怒鳴り散らしました。
この件以来夢を否定されることは無かったので思うがままに突き進みましたが、もう私は空っぽでした。
何もありませんでした。
迷いが恒常化し、自分の人生を選択しきれず就職に失敗し、職場先の未来の無さやセクハラ発言に耐えられず早々に退職しました。そして少しの間フリーターをし、現在は無職です。
消えたい。みんなに忘れてほしい。
ですが、自ら命を絶つ勇気はありません。気付けば誰かに終わらせて欲しいとふと願ってしまいます。
誰かに愛される資格も誰かを愛す資格もありません。こんな無駄な私はどうすればいいのでしょうか。
まともに生きたかった。愛されたかった。