共感しても楽しいけど
共感しなくても楽しい……そんな考えの話。
(途中で話題変わります。死にたいとか言い出します)
『上を向いて歩こう涙がこぼれないように』という有名な歌詞があるけれど。(坂本九さんの歌、作詞作曲はそれぞれ違う人っぽい)
それに染み入るのもいいし、
「上を向いて涙こぼしながらでもいいよな」
「下を向いて涙で大地を潤してもいいよな」
なんて別の考えをしても面白いと思うのです。
(まあこんなこと書きつつ『上を向いて歩こう涙がこぼれないように』のあと『泣きながら』って続くとこがあるから、実際にはこぼれてるのかもしれない)
まあ何を言いたいかというと共感できないということは別の答えがあって、別の選択肢があって、それを考えることによってより世界って広がっていくよね。ってそんな話。
でもここで思う。
はたして、思考することは、視野を広げるのか狭めるのか。
わからん。
いまだにどう日々を過ごせばいいのか生きればいいのかわからん。
新しい情報を入れるのが怖かったりもする。変わるのを恐れる。不快になることを避けたい。
ここは天国だ。水も食料もある。
わたしが生まれたところはそういうとこだ。だからわざわざ水や食料があるかどうかわからないところへどうして旅立とうと思えるのか。同じところにいたらいつか無くなる?
失う恐怖。100から始まって、0になっていく恐怖。だからといって今動いて急に0になったらどうする?
0から始まってないから、わたしはそこからの生き方を学んでいないの。
死んでしまいたい。
幸せに生まれ過ぎた不幸に襲われて苦しいの。
贅沢。バカバカしい。などと、1から生きてきたものたちに罵倒されたり妬まれたり叱責されそう。
サバイバルした経験がないから、サバイバルできません!死にたいです!
っていうのはそんなにおかしなことでしょうか。
サボり蟻になりたい。
いざというときプログラムされたとおりに出動するくらいの。そんな生き物。
それがお仕事。的な?
自ら動かなくても必要なものがいつの間にか手元にあったらいいのに。
何かをするために、したくないことをしなきゃいけないのがつらい。
ご飯を食べるのに、まずお金を使って米を買って……とかそういう工程が必要になるのがだるい。あらゆるプロセスを経てようやく自分が最もしたかったことに辿り着ける……なんてだるいんだろう。
それらを嫌嫌やってたら涙出てきたり過呼吸になったりするし。それでも無理矢理やることもあったりなかったりして。
疲れる。面倒。
死にたい。どっか行きたい。どっか遠く。
なんもしなくていいとこ。なんもかんがえなくていいとこ。
生きたくなるまで生きるのを休ませてくれないだろうか。
朝起きて夜寝るのとかなんかいろいろぜんぶいったんやめさせてもらえないだろうか。再び生きることができるようになるまでなんとか……
ほんとに究極つまんなくなって「あー、生きてぇ」って思いたい。楽しんだりしてぇ。苦しんだりしてぇ。人生過ごしてぇーーー!!!なんて思ってみたい。
なんかこれでいいのかわかんなくなってきたから終わろ。
見ていただきありがとうございました。