ほんとは、あなたに会いたいけれど、私にはもう会う気力がないからここに書きます。
この間、あんなに気持ちを押し殺していたのに、友達に会うことを口実に、あなたに会いに行ってしまいました。上手く会えるなんて思っていなかったのに、会えてしまって、嬉しさと悲しさで私はいっぱいです。
久々にあったから、みんなで食事をしようという誘いに曖昧に返事をしたあなたの心境はどんなものだったんでしょう。
表面上では行きたいそぶりを見していたけれど、この人がきてくれるわけないって私にはわかっていました。
案の定、あなたは来ませんでしたし、私は翌朝東京に蜻蛉返りしました。
あなたが私を見て微笑んでくれることを祈ってたわけじゃありません。これからは、仲良くしようって言ってくれると思ってたわけじゃありません。でも、ただまた友達みたいに話ができたらいいなと思ってしまっただけです。
悲しいですね。
2度と会わないつもりだったのに、欲に負けて会いに行って、まだ私は過去を捨て去れてないことを思い知って、あの人はもう前を向いてるってわかってるのに。
自業自得なのに、過去を見て、人を信じられなくなって、人生が停滞してるのに気づいているのに、私はまだ動けないでいます。
ここにいれば、またあの人がきてくれるかもしれないって信じてるのかもしれません。そんな日は来ないのに、私は何を待っているんでしょう。
私の好きはどう消化したらいいんでしょう。
今の恋人を愛してるはずなのに、過去の傷が邪魔をします。私は、あんなに私を愛してくれる人に嘘をつけてしまうことに絶望しました。この絶望をあの人は悟っている気がします。
あの人に会った後、また死にたくなりました。
一年前に出ていた死にたい衝動にまた襲われました。
そういう時は、毛布にくるまって自分の肩を抱いて、大丈夫と朝まで唱えます。そしたら、朝になって日々を過ごせます。あの人と会うと私は本当に不安定になります。涙が止まらなくなってしまうんです。死んで何かが解決するわけではないけれど、この死にたいと思いながら、日々をやり過ごすこのループからは抜け出すことができます。死ぬのは悲しい。迷惑がかかる。そんなことはわかっています。でも、私はその死にたいをもう4年間も抱えています。生き方を間違えてしまったんですかね。愛する人の選び方が下手くそだったんでしょうか。
人を深く信用しすぎました。
大好きを受け取りすぎてしまいました。
私を捨てて、彼女が選んだ物を目の当たりにするたびに、私はこれより価値のないものなのだと思ってしまいます。
私は人の信用の仕方がもうわかりません。
大好きを与えて、捨てられるのにもう耐えられません。自分の好きなことを人に伝えるのも苦しく思うようになってしまいました。人が怖くて怖くて仕方がなくて、私はいつからこんな人になってしまったんでしょう。
絶望から抜けたと思っても、また気づいたら同じ場所にいます。こんな絶望を誰かに伝えて、理解してくれるんですか。
この喪失を話した時、そんな深く考えたことがないと友達に言われました。やっぱり私おかしいんでしょうか。
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ななしさん
大切だった人を手放すという選択ができるのは、ちゃんと向き合ったひとだけです。
あなたが今苦しんでるのは、あなたがしっかり人と向き合える、誠実な人間である証です。そんなあなたには、これから先、あなたが手を離そうとしても、離れていかない、そんな素敵な人が必ず現れます。それがどんな関係性であるかは分かりませんが、人との関係に苦しめる人間は、幸せになるに決まってます。
ななしさん
お返事失礼いたします
失ったり、傷つけられたりしたことを悲しむことはおかしなことではありません。
何か、間違ってしまったとかそれを受けて地面しか見えないのが間違っているとか今現在立ってる場所から見えている景色はそうしたものでしょうか?
それもおかしくないと思います。人を信用できないことも
ただ、あなたが大切に思っているものを人が同じように持つのは簡単ではないのです。
傷や、生への絶望はあまりに重いものです。誰もがそれを背負えるわけではありませんがそうしたものを背負う人々もいます。
ですがそれもまたカタチはそれぞれで、完全に同じものはありません
ですが、それら全てがジャマだと思い込む必要はありません。
確かに重くのしかかり自身の身動きを封じ自らを鋭く貫き続けるものでしょう。
ですが、そうしたカタチを構成する全てが、全く同じもので、素材で、味でできているのでしょうか?
人は知識がなければ間違えます。
あなたが選択を間違えたとおっしゃるならばその1欠片からも役に立つものは見出せませんか?
こうした人は信用しないこれをしてはいけない好きでないもの好きなもの
その1つ1つが合わさったものがあなたにのしかかっているのではないでしょうか?
だとすれば1こずつ切り分けてみてください。
分けて考えてみてください
どうしても分けられないものがあればそのままで構いません
ですがそこからもっと深い意味を探してみてください。
感情ではなく、相手の意思ではなく、純粋な教訓を
どんな大岩も一部一部は脆いです
そこから原石を掘り出し、さらにその中から細かいものを見つけてください
それが経験です。
人は多くの場合あまり意識せず見つけ出しますがそれがほんの1文であれ1つの毛糸であれ、
人が存在する上で自身と一体化できる情報というのは多くありません
それを化石のように発掘してください。
一見すると膨大な量ではありますが、実際にあなたが背負うものと比べてどれだけ小さくなるでしょうか?
そしてそこから得たものがあなたの経験であり本当の意味での結果なのです。
人は歩んでいるうちに多くのものが付いて大きくなっていきます。感情や詳しくはわからない情報は最たるものです。
しかし、実際には人はそんなに多くは持てません
それどこれか自身の中に仕舞えるものはさらに小さい
だから1つずつ探してみてください
生の終わりというのが見えるのはその岩が作った影です。どんな小さくしてもなくなりませんが、自分がどこにいるかどうしているか分からなくなるほどの影ではなくなるでしょう。
人との関わりは簡単ではないです断ち切ることも繋ぎ続けることも
だから自分がちゃんと見えるようになってから考えるべきなのではないでしょうか?
必ずこれを読んだ1秒後でなくてはいけないなんてルールは存在しません
10年でも100年でもいい答えが出なくても
だからそれまで、経験を見つけ切るまではその全てを見定める必要はありません
そして見つけたものもその時々に活かせば良いのです
新しい歩みがあるかもしれません迷うこともあるでしょう
あなたが得た価値をどう使うかはあなた次第です
人を信じられなかったとしても、自分を信じなかったとしても誰かを裏切りたくないというあなたの誠実さではありませんか
どうかまだなくさないでくださいそれを背負うという道を歩んでいるあなたを
それは誰もが手にしているような機会であっても誰もが気が付けなかった大切な意味を持ったあなたの一部なのです
決して恥でも貶されるべきものではありません
どうかゆっくりと見つけていって自分の歩んでいる道の意味に、目印にしてあげてください
誰かがその景色に並ぶ時にあなたを見つけやすいように。
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