また久々に姿を現した。この感情が。自分の無価値感、そして死にたいという感情が。
就職活動もひと段落した。約1ヶ月前、簿記2級の試験にも受かった。なのに、どうして。それを自分で評価できないのか。「就職活動なんて、普通にやってたらどこかの会社には必ず受かるもんじゃん」「簿記2級くらい持ってる人いっぱいいるじゃん」なぜか心の中でこんな声が聞こえてきて、自分のやってきたことは大したことはなかったと感じ始める。
俺の努力のモチベーションの、一番根幹を成す部分は、他人と自分を比べることによる、自分への劣等感だった。今でも恐らくそれは変わっていない。何もない、何の価値も感じられない自分という存在を、必死に否定するための努力。その過程でも、失敗や過ちが生じるから、当然辛く苦しいものだった。上手くいかないと自分を責め始めたりするから。
ただただ、現状に満足できない、それだけのことなのだろうか。だったら、こんな文章書いてないでいますぐ新しい目標に向かって走り出せばいいのに。
俺の人生は、これからもこのままなのだろうか。必死で努力して掴んだものが、掴んだ瞬間に、何の価値もないものに感じられて、さらにすごいものが欲しくなる。他の人が持っているものが。だから、自分の劣等感を克服できるのはほんの一瞬。永遠に克服できることのない劣等感を抱えて、たびたび死にたくなりながら生きていくしかないのだろうか。
まあ、それはそれで、いいとは思うけどな。「死にたい」という感情も、ある意味ではきっと正解のはずだ。苦しいことの多い世の中で、苦しみながら生きていくくらいなら、その苦しみで潰されてしまう前に、自分という存在を終わらせる。それだってきっと、他でもない自分自身が悩んでたどり着いた結論だよな。
俺の自信はその源を自分以外の人からの評価に依存している。だから、人の言葉に一喜一憂しすぎる。褒められたら喜ぶし、怒られると落ち込む。その加減も、0%か100%というほど振り切れている。
こんな感じだから、以前は彼女が欲しいということを思ったこともあったが、もうどうでもよくなった。人からの評価に一喜一憂する俺は、彼女ができてもその人に好かれることばかり考えて、自分の思いを押し殺して、本当の自分を犠牲にして生きていくことしかできないんだろうなと思う。そして、振られたりしたら普通に自殺してしまいそうだし。父親からは「俺なんて中学の時にはもう彼女いたけどな」みたいなことを良く冗談半分で言われるから、「もう俺にそういう話はしないでほしい。うざいんだよ」と言ってしまった。
結婚もしたくないし、子どもも欲しいと思わない。自分が味わっている苦しみを、自分の子どもにも味わわせるなんて耐えられない。うちの親は、気分によって人への接し方が変わるタイプの人だし、自分にもそういうところがあると思う。そして生きづらい世の中を憂いたりもする、こんな自分の短所と、同じような部分をもった人間がこの世に生まれると考えただけで、嫌になってしまう。だから、結婚もしないし、子どももつくらないという生き方は、決して寂しい生き方じゃないよね。それだけが幸せの形じゃない。
今年の元日、震度6ほどだったかの大きな地震を久々に経験した。「もしかして、今日が人生最後の日なのかも」と思った。そしてついこの間、コロナウイルスに罹って、38.9℃の熱が出た。熱で苦しくて横になっている間、「もしかしたらこのまま死ぬんじゃないか」と思うこともあった。今生きていることに、感謝しないといけないはず。それなのに、なんでまた、苦しみばかり見つめて「死にたい」なんて言っているんだろうか。なんなんだろうな、本当に。
コミュニケーション能力が低いんだよな。でもコミュ障を克服したいとは、きっと思っていない。コミュ障を克服するのは辛く苦しい道のりだから。人と喋るくらいなら、1人で部屋に閉じこもって勉強していたほうがいい。そう思う。その気持ちも多分、自分の欠点から目を背けて、現実逃避しているだけだ。
自分のことを褒めるのも苦手。「息しているだけで偉い」なんて、馬鹿らしいって思うこともある。自分の望んだ結果が手に入らなければ、その過程は全て意味がないと思うことがある。だから、自分という存在に意味を感じなくなったら、自分自身を終わらせたい、ということを思ってしまうんだろうな。
去年の年末、やっと自分の目標が決まって、頑張ろうと思ったはずだったから、自分で命を絶つ前に、それだけでも頑張ってみよう。その過程でまた自分を追い込むことも出てくるかもしれないけど。俺が本当の意味で自分自身の価値を見出すために、その苦しみも必要なんだと思う。
ぐちゃぐちゃな文章ですいません。
204902通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
アユム
「誰か」じゃないさ、「世界」さ。
まあ、確かにこの世界に対して
ボクたちはちっぽけな存在で
どうあがいても
本当にわずかしか変えられないのは事実。
でも、その積み重ねが
ボクたちの想像も及ばない世界へと
連れて行ってくれるかもしれない。
ボクたちの世代では無理でも
いつかの世代に……
名前のない小瓶
(小瓶主)
お返事ありがとうございます。
誰かの役に立てた時に嬉しくなることもありますが、そのような嬉しさが薄れてしまうことも多いですね。
僕の場合は、本当に気持ちが落ち込むと「役に立てていたと思っていたことも、自分の勘違いだったのかもしれない」と思うこともあります。
人の役に立つための過程でも、自分以外の人との関わりが必要になりますが、僕はそもそも人と関わることが苦手です。
堂々巡りですよね...
アユム
あくなき欲望っていったところかな?
きっとキミは総理大臣になれたとしても
過去の総理大臣と比べてしまって
満足できないだろうね。
人間らしいっていえば
人間らしいんだけどね。
自分を世界のために
役立てるっていう生き方もある。
それは自分の個性を最大限に発揮して
全体をよくしていこうという考え方。
もしかしたら、キミの死にたいという思いが
少しでも軽くなるかもしれないね。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。