金銭的にも精神的にも余裕のない家庭環境で生きています。
高校を卒業して暫く経ち、未だに実家暮らしの無職です。
大前提として私は「自分に自信がなく、認められず、許せず、嫌い」であることを念頭に置いて読んでいただければと思います。
父は、私に性的な虐待と受け取りたくなるようなことをしましたが、今は、幾つもの病気を抱えながら、いつ死ぬかわからない体で、私達を養うためにまともに病院にも行けないで、働き、ほとんど帰ってきません。
母は一度精神をやんだことがあると聞いています、今は家にいて殆どのことをしてくれます。
恐らく愛されてはいます、昔は、目の前での性交渉や喧嘩は日常茶飯事でしたが、今は話に聞くようなあからさまな虐待や喧嘩もほとんどありません。趣味などにも寛容な方だと思います。
病院に行けばいい→そんなお金と体力と気力がありません。本当に、明日食べるものもどうしようか、ライフラインが止まる、家賃もおっつかっつ、何てことがすぐ隣にあるんです。そんな生活をずっとしています。
行政を頼れ→体力と気力がありません。そもそも今頼れる制度は全て使っています。しかしお金は、持たざるものほどより苦しくなるのが現状です。
お金のために働け→ごもっともです。きっといくらでもできたことなんです、でもできませんでした。
こんなことを昔から繰り返し、ついぞ本当に体力も気力もなくなり、詰んだな、と感じました。
例えば何か資格や抜きん出た強みがあれば、見い出せれば、獲得していればきっとこうはならなかったと思います。
わかります、きっと"やらなかった"だけなんです、出来ないと思いたいだけなんですよね、どれだけ自分を言葉で傷付けても奮い立たせても報酬を用意しても、動けませんでした。
死ねる場所を探しました、家にはロープをかけられるところもなく周りには高所もなく、移動手段も、お金がないから免許も取れずなので、徒歩しかなく、そもそも道具を用意するお金もなく。
家で切腹したとて、事故物件になって両親に負債を残すか、失敗して入院費で借金になるかの二択です。薬と酒も考えましたが結局同じです。車じゃバレます。飛び込みも迷惑です。
考えるだけ考えて、死なない理由づけをしてるだけのように思えます。夢の中ですら失敗しました。
不整脈が出ることがありますが、その度に死にたくないと思います。
別に好きなものがないとかじゃないんです。むしろ人よりあると思います、夢中になれるものが沢山ありました、やりたいことが行ってみたい場所が、腐っても育ての親、連れていきたいところもありました。人と旅行の約束もしています。
なりたい職業もありました。学校や人間は嫌いでも、物事を理解するのが好きで、勉強も好きです。楽しいと思えました。
だから、生きられるものなら、私だって生きていたいです。
皆のように(と言うのは、あくまで自分のなかの基準を満たせる人間になりたいということであり、大富豪とか有名人とかではない)、ただ普通に、毎日そんなにはお金の心配をしなくて良くて、季節の果物をたまに買えて、ついでにちょっと欲しいものが買えるくらいの、食べたいものはそんなに我慢しなくてもよくて、配偶者とかもいらないし、独身でも葬式がなくてもいいからせめて骨を巻いてくれる人がいたらラッキーで、そんなのでよかった。
でも難しいですね、人間をやるのは。
人間として生まれて来たのに、名前をもらったのに、生まれたときから、人間としてあまりにも欠陥が多いんです。
そういう人が少なからず割といるのは分かっています、自分だけが特別じゃないこと、他にもたくさん悩んでいる人はいること、孤独じゃないこと。
でもそうじゃないんです。結局のところ、自分の中での「最低ライン」にも達する事ができない、許せない、認められないから。どれだけ慰められても、結局の所行き着くのは、今の八方塞がりな現実です。
どんどん醜くなって人に迷惑をかけるようになるのに、何もできないで、そのくせご飯を食べたり不潔を嫌ったりトイレに行かねばならなくなっていやになります。そのまま腐るのを待つのは苦しいです。のたうつしかありません。
ただ普通に生きていたかっただけなのに、この世こそが地獄なのだと思い、いつかこの処罰が終わることを待っている、それは好きなものが増えて、死ぬのが怖くなることも含めて罰であり、おそらくは周りが死に絶えて、一番最後に私が死ぬのだと思っています。背中を押してくれる程のショッキングな出来事を待っているだけなのだと思います。
答えが励ましが慰めがほしいわけじゃありません。どうにもならないとわかっています。もう何も必要ないんです。
来世はもっと優しくて素敵で普通な、自分で自分を認められる存在になりたいです。
名前のない小瓶
205657通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
(小瓶主)
主です。
お返事ありがとうございます。
自分語りになりますが、自分なりに、これが辛かった、嫌だった、あの出来事のせいでこんなふうになってしまった、と思うことは書ききれないほど沢山あります。
私はなにをやっても人並み以下なので、ならば人一倍努力するべきで、それこそが自分を納得させられる唯一の方法だとわかっているのですが、とても続けられなくて力尽きてしまいます。
許せない人やものもたくさんありました、他人への恨み辛みが強かったときも。
今は、稚拙な考えだとわかっていますが、何事も、自分のせいだと思ったりして、自分を責める方が、他人を責めたりもがくより楽で、正しいということに気付いたとき、他人への酷い恨みから開放されて、ほっとしてしまったんです。
親子と言っても、あんなに酷いことをしてきた人の子だなんて嫌だなと思うこともあります、似ていると言われると嫌な気持ちになります。
血が繋がっているだけの人と人同士なので、嫌いなところもあります。でも結局のところ、学校に行ったり、ご飯を食べたりスマホを持ったりというのは親のお陰なので、感謝はしています。
よく言われるんです、優しくて、真面目だね、勉強が得意だねとか。嬉しいです、素直に。ありがとうございます。
でもそれだけじゃ生きていけなくて、せめて他の人には、"頑張れ"じゃなくて、"無理しないでね"とか、"ちゃんと寝てね"とか、口先だけでも優しくなりたくて、自分には全く適応できない気遣いを人に擦り付けてしまうだけなんです。
たとえば授業中に騒ぐ人、外食中に堂々と美味しくないとか言える人、誰かに叱られてもどこ吹く風な人、そういう人を見るたびに、「ああいう人のほうが世の中渡り歩きやすいのだろうな」と思って、妬ましくもなります。
多少不真面目なところがあったり成績が悪くても、明るくて声が大きくて、あまり物事を引きずらない適応力がある人の方が、自分の様に考えすぎたり、勝手に傷付きやすくて何かと脆い生き物よりは、どこでもやっていけると思うんです。
私のそういうところも、良い部分だと見てくれている周りの人も居ます、でもこれからどんどん一人で、どうにか生きていかなければとなったら、自分のせいで苦しくなる要因でしかなくて。
すみません。これ以上は上手く言えなくて、長くなってしまいました。ありがとうございます。
ななしさん
小瓶を流せる気力があった
育ての親になにかしたいと思う気持ちはある
体力、分からない
自分の足でトイレに行くなど、歩くことはできそう
もし、お母さんの買い物に一緒に行けたなら。
そして、買い物かごを代わりに持ってあげられたら。。
代わってあげられた事実だけは「最低ライン」に囚われず、
否定をすることはできないのではと思いました。
ななしさん
"やらなかった"ではなく、"やることができない"状況だったと思います。
受け止めきれないことがたくさんあって、やれないですよ。
小瓶主さんのコメントを見ると、「飛び込みも迷惑」という文章だったり、周りを気遣う文章が多いです。
色んなことがあっても親に感謝している。感謝できない人は感謝できないです。
あなたはとても優しい人です。
どうかこれ以上、自分を責めないでください。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。