夫は、いわゆる自己愛が強い人で、自分がそうであることも知ってる。結婚して時を経て、元々人好きする人だったけれどキャリアを積んでスペックもそこそこ高くなり、人から称賛されることを重きを置く人なので、夫婦関係はほとんどないのに外見をまたやけに磨こうとするようになった。
私が最初に夫を選んだのも、自分に欠けている自己愛を夫に感じ、それで結婚したのだと思う。結局、配偶者で自分の足りてないものを補おうとしたツケを払うことになった。夫は何よりも自分を可愛がり大切にする。私が自己犠牲の精神でいると、私はどんどん粗末にされる。だから、自分を敬い可愛がる練習を始めた。私が輝き始めたことにより、夫は危機を感じるようになった。始めはそれに罪悪感を持っていたけれど、この人には危機感を持たせるくらいでちょうどいいことに気づいた。
結婚はしていても私たちは別の人間。人生も究極的に言えば別々。私は、私の価値を認めてくれる人を大切にする。
夫がガスライティングをして来たり、私のインセキュアなところを突いてきても、私はもう大切な人間関係を切らない。なぜ裏切り続ける人間に気を遣わないといけないのか? 私は私で幸せを築く。その時その時で、夫がいた方がいい間は人生をともにするし、もう必要ないと判断すれば、私のタイミングで別離する。夫の人間性はそうそう変わらないだろうから、また裏切りがあっても驚くことはない。
夫に限らず、私を粗末に扱う人は、私の人生のスペースを取るに値しない。陰口をお得意とする、価値観の低い人たち、力ある(とその人の価値観の中で思ってる)人には媚びへつらい、マウンティングできると思う人にはマウンティングをする、卑しい人たちと、できるだけ同じ空気を吸いたくないし、私が縁を切ることで、陰口で評判を落としたいならそうすればいい。そもそも、その人たちのコミュニティーに受け入れらないと生きていけないような人生設計はしていない。
幸い、私は今まで長年の努力が実って、教養のある人間性の整った人たちと縁できる舞台で活躍できるようになった。私生活でも、人間性の卑しい人、整った人を見極めていけるようになった。どういう人たちを周りに置くかで、自分の人生の質が変わっていくことに気づいた。もちろん、いい人たちにつながってもらうためには、私が自分を磨き続けないければいけない。
これからも、卑しい人と縁することはあるだろうけれど、自分を信じ敬うことをやめてはいけない。