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間もなくこの学校も卒業なのだが、ここの生徒、とりわけ私の学科の生徒について愚痴らせてくれ。
私はいわゆるぼっちで、友人がいなかった。
いや、作れなかった、というのが正しいだろう。
奴らは入学前に排他的な友人グループを作っていて、「新しい友達」というものをひどく嫌っていた。
最初の一年はそれが原因で友人ができなかった。
二年目は孤立している人に話しかけ、そして仲良くなったと思ったらその子は新たに友人を作り、私との関わりを控えた、というよりは私の存在がフェードアウトしていった。
三年目、今度こそと。
クラスの流行をつかむためにみんなの会話を聞いていた。
しかし聞こえてくるのは不謹慎な会話や出身地いじり(私のクラスには外国人がいた)、挙げ句無許可のバイトの話。
その時納得できた。
なぜ私に友人ができなかったのか。
私が「そういうこと」に嫌悪を抱いているからだ。
信念を取るか、友人づくりを取るか。
私は無意識に信念を優先していた。
たとえそれが孤立の道であっても。
これこそが私がいつも逃げ場も逃げ道もない理由だ。
常に真っ当でいようとして、首を絞めてるんだ。
もっと緩く行きたいのに、無意識はそうではないのだ。
卒業ですか、感慨深いですね。
私の話ですが、高校の部活が体育会系でインターハイを目指し監督からプレーのひとつひとつに怒号を飛ばされて、休日なく部活を強いられてたので、卒業してからあの頃を振り返ることはありません。
友達は部活と全く関係ない同級生と繋がっていますが、卒業後に何かしら再会してから付き合いが始まっています。部活していた頃、友達と遊んだ記憶がありません。寮生とかですし。
さらに遡り中学生のときは、いわゆる異性に気に入られて同性からのやっかみにあい同性から嫌われてるな、と感じることが多かったです。
それもこれも学校卒業してから、日々遠い過去の話になっていました。
自分が嫌でたまらない。周りの人間にも嫌悪感を感じていた自分。
世間に受け入れてもらえないと思うネガティブな感情も、今の自分になるのに必要だったと振り返ります。
今の自分も他人に口を挟まれまて、立ち止まることあります。そんな時、小瓶を拾うとみんなの必死な思いにふれ、悩みもがいたりするのは一人じゃない、って。
とても自分をよく見つめていらっしゃる。
それでいいと思います。
ご卒業おめでとうございます。