私は今夫に親権を渡して離婚しようとしています。原因は育児が辛いからです。
息子は5歳の中間反抗期で娘は普通のイヤイヤ期の3歳です。
どちらも世間一般からすればおとなしく育てやすい方かもしれませんが、人を見て態度を変えます。私にだけ一番甘えて一番反抗してきます。幼稚園では優等生らしいです。
私は子供をずっと誰にも預けずに家で見てきました。夫婦双方の親は病気などで弱っており子育てを手伝える状況ではありません。
働いて保育園に入れたくても夫は「働いたらもっとイライラするだけではないか」と反対です。一時保育は空きがなく使えません。自分で見つけてきた託児所にたまに預けてますが、預けに行くのも一苦労で身体が重いです。
子供を全く愛せません。児童相談所に電話して一年以上カウンセリングを受けています。精神科にも行って薬をのんでいます。息子は療育にも過去に通っており、そこで親子の関わり方を練習したりもしました。でも全く子供を愛せないんです。私じゃない誰かが育てたらいいと思っています。夫も新しい妻と再婚してほしいと思っています。
どこへ行くにもだっこだっこで身体がしんどいです。夜も寝ないではしゃいでいて休めません。
私は資格をとって働くという目標を持っていましたがその勉強もほとんど進んでいません。家事や掃除もほぼ邪魔されて進まず、専業主婦なのに家は汚いです。
夫に子供とずっと関わるのが辛いと言う私の気持ちを言っても、子供は小さい時は母といるのが幸せだと言います。
夫に子供を任せて自分が家で掃除していたら子供を二人とも迷子にした過去があるので任せられません。
この状況でなんで離婚という選択肢をとりもっと家庭を破壊しようという発想になるのか自分でもよくわかりません。
ただただ6時間以上まとまった自分の時間が10日ぐらい欲しいです。そのうち三時間寝て三時間は掃除をしたいです。今その時間を捻出するには徹夜するしかなくあんまり現実的じゃないです。
夫はイクメンで周囲からはもてはやされています。私が鬼嫁とか適応障害のメンヘラな嫁、いちいち口うるさい嫁とみんなには思われているでしょう。
昔からチリのように積もった小さな恨みが噴出してくる日々です。昨夜夫に一個一個言ったところ「だってわかんなかったんだもん」といわれました。
私は彼氏がいるわけではないので男に走って家庭を捨てようとしてるわけではありません。もう家庭をもつなんてこりごりですし彼氏を作りたくもないです。誰も私を知らない所に行って、一人静かに暮らしたいです。でも育児を辞めたいからというのが離婚事由として認められるのかもわかりません。
こんなことで子供を置いて出て行こうとするなんて身勝手な母ですよね。でも子供も、口うるさい母よりも何でも許してくれるパパの方が良いって言ってます。
ななしさん
(小瓶主)
お返事が遅くなり申し訳ありません。全ての文章に共感するばかりです。こんなに共感してくださってありがとうございます。なかなかリアルでは言えません。そうなんです、目標を立てても全部機嫌次第でおじゃんです。
私はキャリアはほぼなく、過去ずっと家族の介護をしておりそのときからなんのお礼も見返りもないケアをしてきたと感じております。その間に他の家族は好き勝手に人生を謳歌していたように感じ、恥ずかしながらそのことへの怒りを今になっても引きずってしまっています。
返信に時間をいただきましたが、その間に子供の様子を見ていますと、療育を丁寧にやってきた成果が出ているのかなと感じる出来事がありました。私の未来はお先真っ暗に感じますが、子供の成長には驚かされます。
愛情が積み重なっているという励ましの言葉をありがとうございました。少し泣きそうです。今後もある程度の年齢になるまでは注意深くやっていきたいです。将来就職できるか不安で仕方ないですが、今やれることを頑張っていきたいと思います。
ななしさん
私も専業主婦です。夫の転勤に帯同したことをきっかけに仕事を辞め、なし崩し的に10年以上ずっと専業主婦しています。
イクメンまじで嫌いです。仕事と家庭の両立とか、仕事の昇進がそもそも専業主婦の家事労働に依存しているのに何いってんだ?って思います。共働きは容易には昇進できない理由ですよね。優秀な人間が仕事に全振りしたら昇進せざるを負えないんです。仕事に全振りできる基盤が専業主婦(主夫)。家事育児において自分の都合が良い時間だけ出来ることを手伝うというスタンスが許されるのは、私が専業主婦で雑務を一切引き受けフォローしてるから。そこを夫は分かっていなかった。
発端は有り体に言えば産後クライシス、本質的には複雑性PTSDじゃないのかなって勝手に思っています。臨月も近く逃げる場所なんてなかったとき、24時間体制で安全を確保しないといけないとき、発達というより幅広い意味での教育や躾をしないといけないとき、個を殺して子供にも夫にも尽くさなきゃいけなかったしそれ以外に存在理由がなかった。それなのに、それを選んだ私にはなんの見返りも無かった、それが堪らなく辛かった。今でも克明に思い出されます。社会の最底辺で無償労働を5年強いられる。私自身の身の回りのものは働いていたときの貯金と投資で賄っていたとはいえ、肩書は無職ですからね。その上で自由が本当になかった。可処分時間は子供の機嫌に左右される為、目標を立てたら達成できなかったときにネガティブになってしまうから、目標とか自分がやりたいこととかに縁がなくなってしまった。3歳児神話というより早期教育の効率性とコスパの良さだけを信仰してなんとかやり切った。子供に愛は無かったです。あっても無償の愛ではなかったです。
それでも、子供は子供の人生を歩む中で、自分の為に身を粉にして問題を解決してくれた人の背中を見ていると思います。道理に甘くお金で解決した姿しか見せてない人には、いずれ子ども自身がその人にそういう扱いをします。私がやってやったんだぞと威張れという訳じゃなくて、ママが抱っこや寝かしつけでワガママを聞いてくれたという愛情は、毎日少しずつでも子供の心に積み重なっているんじゃないでしょうか。それはいつか返ってきますよ。
長文失礼しました。