拾っていただいてありがとうございます。
私は今1ヶ月半くらいうつ状態で休職している状態です。
早速半生を振り返りたいと思います。
私は大体、小学校高学年〜新卒入社まで、程度の違いはあれどうつ状態が続いていたような気がします。
一番最初のキッカケになったのは、小学校でイジメに遭ったことでしょうか。
仲の良い子は数名居たのですが、クラスの大多数から無視されたり、悪口を言われたり、〇〇菌的なやつをやられたりしました。
その頃も何となく自殺を考えていたほど、追い詰められていました。
次に、家庭環境が悪化したことで再発したと思います。
父が仕事を辞めて、父の母(父方の祖母)を家に連れてきたことで、母との関係が悪化しました。
その時に過敏性腸症候群を発症して、今もずっとお友達です。
何とか家庭環境も落ち着き、中学の後半は割と普通に過ごせていたと思います。
勿論、多感な時期だったので気分の浮き沈みは激しく、落ち着くまで友人に当たったりしてしまいました。
それでも見捨てないでいてくれた友人たちには感謝しています。
高校に進学し、かなりうつ状態が酷くなったと思います。
受験ハイ的なノリで受けた進学校に通ってしまい、周りとの温度差で居心地が悪かったです。
特に3年生の受験シーズン、私は自己推薦で大学は10月辺りに決まっていたにも関わらず、周りに合わせろと共通テスト、国公立前期の勉強を延々とさせられました。
何のために勉強しているのか全く分からず、毎日ひたすら勉強勉強…。
その頃の記憶は殆どありません。
でも、本当にしんどくて、苦しかった。
大学は勉強したい分野を勉強できるので楽しかったし、かなり偏差値の低い大学だったので簡単に単位も取れました。
しかし、文化祭の実行委員になってしまっていたため、勉強しながら準備をする必要がありました。
両立させるのが苦手な私にとってはかなり苦痛で、でも人手が足りないので全て自分でするしかなくて、苦しかったです。
準備期間中に何度校内の池に飛び込んでしまおうか、教室のドアノブで首を吊ってやろうか、と考えたか覚えていません。
ストレスで過敏性腸症候群が悪化してずっとお腹の調子は悪いし、固形物で胃もたれするし、味覚もおかしくなるし、と中々ヤバかったです。
秋の初め頃、寒くて仕方なくなって保健室に行って横になったら、涙が止まらなくなりました。
カウンセラーの先生に話をしたら病院を紹介しようかと言われましたが、「病院で診断書とか貰っても休もうと思えないだろうから」と断りました。
その時は、準備を全部一人でしなくてはいけないと思い詰めていたし、どうしても単位を落としたくなかったのです。
就職して、暫くは楽しく働けていました。
しかし、時間に追われながら完璧な作業を求められる現場に疲弊してしまいました。
4ヶ月目に病院に何となく行ってみて、休職を勧められ、母と相談して休職することにしました。
正直、病院に行った時は元気だと思っていました。
普通に仕事に行っていたし、休日は趣味を楽しんでいたから。
でも、確かに食欲は落ちていたし、胃もたれするし、5時間くらいしたら目が覚めてしまうし、気になることは沢山ありました。
それでも、そういうことは見えなくなってしまっていたようです。
休職中の今も、あまり体調が良いとは言えません。
薬の効果もあまり実感できず、これで良いのかと考えてしまいます。
それでも、休職前よりも自分のやりたいこと、食べたいもの、好きなことなどを認識できるようになっていると感じています。
話は変わりますが、うつ状態が酷くなりすぎて、逆に躁状態っぽくなることってありませんか?
気分が落ち込んでいる時は、確かに何もしたくないし、しんどいです。
でも、趣味の絵や小説をやり始めたら筆が進んで、調子が良い気がします。
体力が有り余っているときは、何もしたくないのに、暴れ回って破壊の限りを尽くしたいような衝動が湧いてきます。
もちろん、破壊の限りを尽くすようなことはしませんが。
そんなときは、絵や小説を受け付けず、全く書けないことが多いです。
たまに、書きたいのが見つかってバリバリ書きますが…。
つまり、ある程度のうつ状態のときが私にとって最高のコンディション…?みたいな矛盾した状況に私自身も混乱しています。
多分、ストレスを小説や絵にぶつけることで解消している?ので、ストレスが少ない時はその必要性を感じない、ということでしょうか…?
もし、同じようなことを経験したことがある方が居たら、教えていただきたいです。
212061通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
解離性健忘になったものです。
解離は突然ならんよ。
長年の傷の蓄積の終着点の一つとして、解離するのだと思っています。
小瓶主さんのように人生振り、沈みました。
2歳8ヶ月の時、言葉が使えなくて意思を母親に伝えられず、諦めた記憶。
5才のときのいじめ。
その他諸々。
今はだいぶ平常運転なので、過去の記憶を思い出しても感情の感覚はりません。
不調だと、過去の記憶を思い出したときに、感情の感覚まで出てくる。
私にも
「鬱っぽさから逆に躁状態っぽくなること」ありました。
それから綺麗に対してもも醜さに対してもやたら刺激が強かったのでHSPかとも思いました。
綺麗に対してもぐっわぁってなるので、HSPっぽさもいいなぁとも思います。
おそらく小瓶主さんで言うところの「ある程度のうつ状態のときが最高のコンディション」と同じ感じ。
「小説や絵にぶつけることで解消」これも、いいと思います。私も小説にしたこともありました。小瓶のお返事を書いて、共感したり吐き出したりもしました。
鬱っぽさがあってもなくても、
体調に合わせて日常が過ごせますように。
もしくは体調をある程度制御できますように。
名前のない小瓶
あると思います。
私も昔、慢性的に軽い鬱っぽい時は一番創作意欲がありました。現実逃避で幸せになるみたいな。
躁っぽいときは私は、出かけたり、友達と遊んだりする方が楽しくて、一人で内向的にやる創作とかは二の次になりました。
その後、よりひどい落ち込みや不安を感じる、本物の鬱になり、何もできなくなりました。創作とか好きだったのに、好きなことに対する意欲が消え失せて、衝撃だったし本当につらいです。
ななしさん
私自身の事ですが、色々あり心療内科にて鬱の診断を頂き治療していましたが転院した際に双極性障害ではないかとの事でお薬を変えたところ時間はかかりましたが今はわりとコントロールできています。
穏やかに暮らせるようになると良いですね。
名前のない小瓶
私も文章書き殴るトリガーはストレスです。
書き殴ってストレス発散してる自覚あります。
今まさに5時間ぐらいで目覚めて小瓶見てました。自分も小瓶書こうとして。
休み明け仕事行きたくないです。
私の場合は気分の落ち込みではなく、精神的に追い詰められ気味の時「時間ない〜!」ってムシャクシャして突拍子ない話を書き殴りたくなります。
落ち込んだら……もし書くとしたら日記かな。それか小瓶とか。
私は、落ち込んでる時は書くことを、感情の整理や行き場のない感情を綴るのに使うことが多いです。
あと読むのも好きで、いつもは節度守ってるんですが、時間なくて駄目なの分かってるのに長編小説を読むのが止まらないと、ストレス溜まってるな〜という指標になってます。
ななしさん
こんにちは、私も小学校低学年からうつ病を何度も繰り返し、今31です。
きっかけは、小学校の先生の虐待(今なら全国ニュースになるレベル)で、私だけでなくクラスみんな暴力と暴言を吐かれ、毎日それでも学校に行かなければならないというのが苦痛で、小2で適応障害-うつ病になり、小2から小3まで不登校でした。でも、小2の時うつ病というものがわからず、何故か落ち込みが激しく、吐いたりめまいを起こし、ご飯が食べれなくなっていく自分が理解できず、両親にもうまく説明できず、どうしていいか分からずかなり苦しみました。
しばらくして両親がやっと気づき、小児うつで病院にかかりました。
小3の終わりにかけて少しずつ学校に行けるようになり、幸い頭は悪くなくて中学受験をして進学。高校まで少し落ち着いていましたが、大学受験で失敗し、またうつ病。滑り止めの大学にいくも躁鬱状態で、ハイになったり沈んだりを繰り返し、精神的に厳しくなって中退しました。そのあとまた大学に入り直し、一時的によくなるも、就職先でパワハラざんまいの日々で、うつ病再発。ご飯が食べれず突然意識を失うなど…
勇気を出して心療内科にいくと、こんなにひどいのになぜ今まで放置したのかと怒られました。今すぐ仕事やめないと命が危ないと言われました。でも仕事やめると生活できないので、多めに処方薬をもらいながら生活し転職しました。今も時々波があって、危険な状況になることがあり、危ない時はすぐ頓服薬を飲むように言われてます。
私はうつ病とは一生の付き合いなのかなと思います。ほんと生きづらい人生です。元気な自分が思い出せません。
なんだか、ポジティブな話じゃなくてすいません…でも、一つだけお伝えできるのは、ちゃんと治療を続ければ、結婚も出産もキャリアアップもなんでもできました。案外、自分の波を知るとコントロールできるようです。私もうつ病との共生の仕方を模索中ですが、今の所、他人よりゆっくり過ごしたりダラダラする時間を多めに取るとマシになる気がします。
細かい作業とかして無心になるのも楽になるかも。
早く瓶主さんも、うつとの共生方法が見つかりますように
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。