夜に麻婆豆腐を作ろうとした。しかし、その日の夜は作らなかった。次の日の朝、ふと思い出す。
学生時代の友達から聞いた愚痴寄りの意見。その子は寮生活をしていた子。「今日、朝から麻婆豆腐だよ。朝から食べれる?」まるでそれは、『普通、朝から麻婆豆腐は食べない』かのように聞こえてしまい、さらに友達の感情までデータベース化されて私の脳内データーベースに格納されているようだ。
友達との何気ない会話から約20年後。このエピソードを思い出したが、躊躇なく朝から麻婆豆腐を作る。食べない人には納豆を出そうと思った。
結果、その日の朝、家の者は何も言わずに朝から麻婆豆腐を食べた。
当たり前だが、友達だろうがその道の専門家だろうが、その人の経験であり意見なのだ。
素人と専門家では知識の差はあれど、それでもその人の知識であり、普遍的に当てはまる正しさではない。
家族、教師、友達から聞いた愚痴寄りの意見。愚痴だけでなく否定的な意見やネガティブな妄想。それを聞いたときに発生した感情データ。
流行りのインフルエンサーから聞いた言葉。精神科医の方々が発行し、流行した書籍を読んだときに救いとならず逆に傷付いた感情データ。
何気ない日常の中でふと思い出したとき、特に感情データ付きで思い出したとき、精査しよう。
その思い出や感情は、今、教訓として必要か?教訓にならないなら、過去に今と未来を奪われるな。