『知り合いが自殺してしまった。
死ぬくらいなら相談して欲しかった』
そんな小瓶に遭遇すると2つの感情というか思考が走る。
相談してくれたら助けられたかもしれない。
残された人は無念だろうし、気付いてあげられなかった罪悪感とかに苛まれるのだろうという同情的な共感。
それと同時に死んでしまった人はもう助けられなかった。
相談できる状態ではなかった。
相談したところでダメだと思っていたから死を選ぶしかなった。
『相談してくれていたら』
『自分が気付いてあげられていれば』
そんな『たられば』なんて無駄だし自分の罪悪感を和らげたいだけじゃね?
などという冷めた感情。
その2つの思考を俯瞰してる自分。
…これじゃ2つじゃなくて3つか?
思考が2つ出てくるとめんどいんだよな。
今は死にたいって思ったら無理くりそれを否定する思考を呼び出すようにしてるけど、そもそも死にたいなんて思考や感情が出てこない方が楽なんだ。
宛メで飛び交う数多の返事も誰かの複数の選択の思考から選ばれたもので、さらに運営のフィルターを抜けたものに限定されてるとなると真実はどこにあるのかとなってしまう。
信じられるのは自分だけだからこそ、自分の言葉には嘘をつきたくない。
故に迷ってる状態で返事は書けなかったな。
考えるのだるいな。
ふいに死にたくなる
そんな時は思考を切り替える。
死にたいなら死ねば?
本気で死にたいなんて思ってないくせに。
死にたいなんて言ってるうちは甘えなんだから生きろ、ってな。
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お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
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陰さんへ
人の心は簡単に動かせやしない。
本当にその通りだと思います。
忘れ物は忘れてからじゃないと気付けない。
自殺する人も自殺してからじゃないと気付けない。
忘れ物をなくすためには普段から気を付けてるしかなくて、自殺して欲しくなかったら普段からその人に気をかけてあげてないとダメ。
それでも死なれてしまったら無念ですが。
私は母に死んで欲しくないから普段から気をつけてるつもりだし、私が死にたいと言うと負担をかけるのがわかってるから言わない。
死なれてしまったら自分を責めるだろうけど、事実は変えられないから、そうならないように尽くすしかない。
陰さんにも死んで欲しくないけど、私に出来るのは小瓶読んで返事書くしか出来ないし、その返事も100%の正解を出せる自信もない。
相談を受けたら自分に出来る範囲で応えるけど『相談してくれなかった人がもし自分に相談してくれていたら助けられたか?』は別の話になってしまう。
相手が相談してくれなかったのは、自分がその人の相談相手として力不足か、候補にすらあがらなかったという話なんですよね…。
ゆきさんへ
俺も全く同じ感情になります。
だから、そのような小瓶にはお返事を書かないようにしてます。
「もっと、早く相談してくれれば」なんて言って、自分にその人の死を止められることが本当にできんのか?上っ面な言葉だけ並べて、「助けられた」って自分で勘違いしてるんじゃないのか?って。
人の心はそんな簡単に動かせやしない。
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