死んでるも同然の人生で、なぜ毎日起きてシャワーを浴びたりしてるんだろう?ご飯を食べるんだろう?歯を磨くんだろう?ゴミを捨てるんだろう?睡眠を取るのだろう?
生きているのが苦痛だ。
意味なんて求めるからそうなる。
べつにこれがわたしの人生ならば、死ぬまでそれを遂行するだけだろう。
生きているから苦痛だ。
それでいい。
死んだときに解放されるから大丈夫だよ。
今はただこの人生を生ききるの。
毎日の行動がしょーもないものであり、基本のこと。基本のことだけして、それ以外何もしないのを褒められないのは普通だ。
たとえば、蟻が外から巣の中へご飯を持ち帰った時にいちいち「ありがとう」と他の蟻から褒められているのか私にはわかりませんから。
他の動物の意思疎通について私はご存知ありませんから。
……何の話だっけ?
ただ『生きる』行為を褒められるのは異常だと思う。……いやまあ、そういうことするのが人間か。
じゃあそんな人間を私は称賛しよう。
ただ『生きてる』だけを貶すことも。
考えられるだけ考えたらいい。
そういうことをするのがヒトというものかもしれない。
その結果ありとあらゆるものがヒト族の手によって生まれてきたのだろうから。
やっぱり何の話かわからない。
今日も死にたかった。それだけです。
ななしさん
こんにちは。
極論だけど、例えば、シャワーしてごはん食べて寝て、それだけすればオッケー。そんな人たちが大多数という国があれば、死にたさは和らぎませんか?
もしそうなら、主さんは、役割を果たすのが苦手なのかも。
学生、職員、役員、係、妻、母など、そういうのが苦手だったり、そういうのが嫌で属していないと、なんとなく役目を果たしてない負い目みたいなのにさいなまれたりしませんか?
私は、そういう時期があったので、もしかしたらと思ってお返事しました。
違っていたら、スルーお願いします。
ちなみに、もしそうなら、私は、NPOとかの、居場所づくりをしているところが、いくつかあるので、そこへ行ったり(なにもしなくてよかったり、誰とも話さなくても良いところがわりとあります)するだけで、負い目が軽くなりました。
何かに参加している、定期的に通っているところがあるというだけで、負い目の軽減や、視野の広がりがあって、だいぶ心の落ち着きました。
もしよければご参考まで。