ご飯作り終わったし死んでもいいかな……って、思考感情。あくまでそういう例えみたいな、そう表現したいってだけの話。本当に死ぬとかそういう話ではなくて。
私はいつだって、「死にたい」って言葉をそういう風に使ってると思う。
人っていうものは、どう伝えたらいいかわからない時に比喩表現を用いるじゃないですか。……本当に“そう”より、そのほうがいいじゃないですか。“死にたい”なんてめんどくさくて苦しくてつらい思い……嘘でいいじゃないですか。
だからわたしの「死にたい」はいつだって、本当か嘘かわからないままです。