数年前から現実とネットの双方で、ジェンダー・SDGs的な意味での『価値観のアップデート』という言葉を聞くようになった。
それと並行して『弱者男性』という言葉も聞くようになった。
一方的に既得権益側に属している加害者扱いするな、こっちだって苦しんでるんだという男性側からの言葉であり、当然そういう言葉を使うことに対する批判も強い。
妻や娘との関係や、そもそも『甲斐性の無い、うだつの上がらないおじさん』という自分自身の立場もあって、どうしても男側を贔屓するような考え方になってしまうのはあるが、こういう話題について見聞きしている間に昔の広告を思い出した。
女性が多く乗っているエレベーターに男が乗ってきた。
女性たちが口々に『臭い』『風呂入ってるの?』といった発言をして、次に停止したフロアで男を除く全員が足早に降りていく。
最後に降りた女性が、『これ使って少しはマシになれば?』という顔で、ボディーソープを渡すという内容だった。
体臭についてはスメハラという言葉もあり、無自覚に他者に嫌悪感を与えている側に責任があるという考え方を否定するつもりは無い。
また、指摘しづらい問題であることや、男側の身だしなみのだらしなさに甘すぎるという不満を持っている女性たちにとっては、まさしくスカッとする広告なのだろう。
しかし、それ以上に気になったのは、『おかしい奴、不快な奴、正しくない奴を否定して自信喪失に追い込み正しい側に従わせる物語』という筋書きそのものだ。
いわゆるパワハラ研修や、引きこもりの追い出し屋というのをテレビ等で見た人はいるだろうか。
なるほど確かに甘えた社員や家族に依存している引きこもりは迷惑で不快な存在なのだろう。
それに対して人格否定を含む口撃を行い、場合によっては血縁者も彼らを糾弾する。
集団生活で社訓を暗唱させられたり、山道を延々歩かされたり、連れてこられた畑や工場で働く彼らが『幸せだ』と言うのは、果たして本心なのだろうか。
少なくとも、テレビ側はそうしたものを肯定的に捉えており、『立ち直らせてやってる』と考えているのは分かったが。
萌え絵を好む萌えヲタを女性の敵だと感じることや、そういうものを公共の場から消すのは正しいのだろう。
仕事だけでも疲れたという夫に、家事のほうがはるかに重労働で仕事なんて遊んでるのと同じだと言うのは拍手喝采されるべき意見なのだろう。
子育てがうまく行かない責任はサポートが出来ない父親にあると言う意見を否定する奴は父親になる資格など無いのだろう。 アップデートされてないおじさんは社会にいるべきでは無い。
苦しい。
しんどい。
疲れた。
夫にそれを言う資格は無い。
アップデート、しなくちゃダメですか?
正しくなければ生きる価値は無いですか?