注意:執筆当時20歳未満
お父さんお母さんが、酒に酔って悩みを吐いて、「死にたい」だの「これが終わったら死ぬんだ」だのほざいて。
羨ましい。
酔ってしゃべったことはシラフじゃないってことにできて、言いたいだけ言って、それでスッキリできる。
羨ましい。
私だって、身内にヘラりたい。
「死にたい」って言いたい。
「死んだら困る」って言われたい。
悩みだって吐きたい。
酔った席なら本気にされない(互いにベロベロに酔ってることは前提)。
じゃあ何言ってもいいじゃん。
理性が悩みを言うのを抑えるんだ。
理性を一時的に外してスッキリしたいんだ。
「言っちゃったよ…」とか思いつつスッキリしたいんだ。
私は、理性が私たらしめている。
私は、理性のせいで苦しんでいる。
私は私を失いたくない。
でも、苦しむのだって嫌だ。
皆んなは言う。
「あなたは客観的に自分を見れる」
でもそれは反射的に発動する自己批判の賜物。
無くしたいと思ってる特性。
無くしたら、何が残るだろう?
酔ったら客観視も何も無い。
残るのは身勝手な私。
それでいて決断できない私。