誰かと話がしたい。
誰とも話が通じない。
誰もが脳内に閉じこもって、
眼前のものと認識しているものとの差異に
気づこうとしない。
他人と同じものを見る手段はない。
同じものを定義することもできない。
だから根本的に話は通じていない。
単語ひとつにしたって、
あなたとわたしでは解釈が違う。
解釈する体が違うのだから当然だ。
話がしたい。
話が通じないという前提のもとに、
通じない話がしたいのだ。
それだけのことが、誰にもできない。
このまま他人の存在を
実感できずに死ぬのはいやだ。
自分の頭でものを考える前に、
自分の体でものを感じることが、
実は誰にもできていない。
体の都合より親の都合に合わせるように、
躾られてしまっているから。
体の都合を生きることは罪悪である、と、
狂った教えに洗脳されている。
そこから抜け出すことは、
親をはじめとする世間や社会に
根本から敵対することであり、
あらゆる薄っぺらい正しさの代行者を
自認する馬鹿どもから
糾弾され、嘲笑され、
その痛みごと存在を
抹消されることでもある。
だから誰もが恐怖から体を捨てる。
だから誰もものを真に感じていない。
誰もものを真に考えていない。
正しさのテンプレートから
それらしいものを選んできて、
自分のものだと勘違いしている。
だから話は通じない。
だから問題は解決しない。
そこには血が通っていない。
言葉から辿る感覚がない。
他人に深く失望しながら、
私はそれでも希望を棄てられない。
話ができる人に
この先一人でも出会えますように。
一度でいいから、
誰かの生きている心に
触れられますように。
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