基本的には静かなタイプなんです。スポッチャに行くなら、図書館に入り浸っていたい。カラオケに行くなら、カフェ巡りをしたい。ディズニーランドに行くなら、好きな音楽を聴きながら知らない町を散歩したい。
でも、学校での私はそういられない。
教室では大人しめのタイプで、所謂典型的な優等生です。ある意味、素で居られる場所かもしれません。基本的に読書をしているし、休み時間にバカ騒ぎをするわけではありません。お昼休みに友達と談笑するくらいです。時々聞こえてくるクラスメイトの声に、敏感に感情の起伏を感じ取って疲れてしまうくらいで、他は楽だと思います。
けれど、部活ではどうでしょう。大声を出したり、大爆笑したり、ふざけたり……バカ騒ぎをします。それが全て嘘ですかと聞かれたら、首を横に振ります。面白いと思ったことは本当に面白いですし、楽しかったらおふざけもします。でも、それは本当ですかと聞かれて首を縦には振れません。
私、そんなに脳天気なバカじゃないんです。暗い雰囲気にならないように、誰かの意見や言葉を聞き逃してしまわないように、気を張っているんです。だから、脳天気なバカを演じているんです。何もわかんないふりをして、皆を巻き込んで暗い雰囲気にならないようにふざけて相手を笑わせて……。まるでピエロだなって、バカみたい。本当は、静かにボーっとしていたい。何も考えたくない。聞きたくない、何でも私がやってくれると思われたくない、なのに私は何時もその役回り。疲れた、でもきっとやめてしまえば……そう考えてはやめられない。
演じ分けているわけじゃありません。器用ではありませんから、そんな事はできない。でも、気付けば私は勝手に演じ分けている。どうしてでしょう。
あぁ本当に、疲れた。
元気で能天気で明るいバカ。明日もきっと、そんな私が顔を出すんでしょう。
何も考えたくない。
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ななしさん
人との関係、その場づくりは社会において非常に大切ではあります。だからこそ、私もいつのまにか演じ分けをするようになっていました。
人はその大変さをわかっていない。わからせないように演じているので、わからせてしまったら演技の意味がない。
でもその演技をいつかはやめるわけです。卒業などの節目に。その時にやっとお役御免だ、楽になると思うなら、次から目立たない自分をひたすら演じていいのです。
たぶん、私もそうだったけれど目立たない自分では何か足らなくて、この場では演じることで別の自分の顔を見せられる、というものもあるんじゃないでしょうか。
義務でやることではありません。そういう人がいて、その場がいつも平穏でいられるという見えない犠牲。ボランティアで、無理してまでやることではありません。演じている自分を認めてくれている、必要とされている、何かプラスを感じるからやるものです。
新しい場所でも、似たことが起きます。なぜそうして自分を犠牲にするのか、苦痛を感じつつピエロを演じるのか。その答えがわかった時、その演じ分けは意味がなくなります。
その頃きっと社会に出て、その自分を振り返り、これからの未来を考えられるようになっているでしょう。今は毎日のルーティンになっていて、抜け出せない。
新しい未来の節目に、今の思いを振り返ってください。
ななしさん
言い方が上手く浮かばないため、きつい印象を与えてしまったら申し訳ないです。
考えなくて良いのではないでしょうか?
何故か人、なのか日本人、なのか、
自分はこういうタイプ、それ以外は演技
のように、自分を1つにして、分けてしまいますが、
一人の時にはこうしていたくて、
他の人といる時にはこうしていたい人間なんだ。
でも、他の人といる時は体力使っちゃって、体力ないと上手くできないよね〜
みたいな話ではないのでしょうか?
もっと自分のエネルギーは使わずに接せられる方法や相手が欲しい
と思うなら、その方法や相手を探したり、思い切って友達に打ち明けてみるのも良いかもしれませんが、
何で自分はこうしてしまうんだろう。
は、考えなくて良いと思います。(考えちゃ駄目ってことは無いですけど、ちょっと勇気がわいたら、こういう行動してみよう。のような考えで終わらせられるようにできるとそのままズルズル考えることが減るのではないかなと思います。 今すぐパッとはできないかもですが。)
人前で脳天気に、しかも相手を楽しませられるのは、とても羨ましい才能ですね。
他人の感情をコントロールする、というか、変化させることは、とてもエネルギーが必要なことなので、疲れるのも当たり前です。
疲れると、やりたくないのも当たり前です。
静かに自分のやりたい事をしたくなって当たり前です。
そうでない方は、たまたま自分のやりたい事をやりたいようにしていたら、周りの人も喜んでいる
という、なんだかとても羨ましい能力と、実は周りで嫌がっている人とかがいても、喜んでくれる人を見て、楽しむ能力を持っている人です。(全員と仲良く、や、嫌われたらどうしよう の気持ちより、 誰か(全員でなくて良い)と何かしたいな やった事で誰か一人でも楽しんでくれたらいいな という気持ちで行動できる人)
出来るか良いとか、出来ないから駄目なんだとかではなく、自分はどちらの考え方だ(感じ方が強い)から、どう対応していこうかな
なのだと思います。
きっと部活の時に嘘ではないと気づけているのですから、分かっている気持ちはあるのだと思います。
楽しければ疲労がないわけでも、疲労していても出来るわけでもない(個人差が当たり前にある)ので、自分は何処まで出来るのかな、何処で嫌な気持ちが湧くのかな
を、今からモニタリングしてみたらいかがでしょうか?
考えるのではなく、見るだけです。
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