ここに来て、こうして何かを書く行為というのは
わたしという存在が他人に認知されることを意味しておりまして……
それっていうのは、わたしからするととても嫌いで苦手なことでありますので。
わたしとしては逃げて逃げて、ひたすら現実逃避で己の殻に閉じ籠もり、好きなことをだらだらと行うほうが良いわけでして……
「嫌だな。なんで書かなきゃいけないんだろう」という自分と、
「私を知って。こんなに苦しいのを知って!」みたいな自分がいたりするかもしれない。
1ヶ月ほど日付が空きました。
さっき、過去に届いたお返事見てたら、名前呼んでくれてる人とかもいるわけで…… なんか不思議。ってなった。
わたしが誰かと関わり持ってるのが変な感じ。
この話を、1ヶ月放置しているこれのつづきとして書くのがいいかもしれないと思って書いてます。
うーん…… 名前呼ばれるくらいに認知されて、その人の中である程度キャラクターができているとしたならば、ぼくはどうすればよいのか。ぼくはいったいなんなのか。有(ゆう)とはいったい誰なのか。名前の有る小瓶とは?
……書いててきもちわるいな。好きじゃないんだよな。『自身を決定付ける名前』というものが。名前なんてただの記号なんだけれど、その『記号』が嫌いなのか。その記号が付いていることで、『わたし』が『わたし』となっているのならば、心底きもちがわるい。
これは今の考え方で、明日になれば違う可能性がある考え方なので、そんなに気にしなくていいです。呼ぶの躊躇わなくても大丈夫です。
名前呼ばれるの、なんだかむず痒いな…… 恥ずかしいな……
ヾ( 〃∇〃)ノ キャッ!!テレテレ♡
みたいな感じだと思うんで問題ありません。
もちろん名前で呼ばなくてもいいです。小瓶主さんとか貴方とか君とか、なんでもいいです。それすらなくても構いません。わたしに宛てた返事を意識して書く必要はないので。
独り言が入った小瓶流してるんで、独り言を入れて返せばいいんだよ〜って感じです。(わたしの場合ね。他の人は知らない)
あと、返すの義務じゃないです。拾うのも義務じゃないし、拾ったからって読むのも義務じゃないです。
気を遣うのもたぶん義務じゃないけど、そこに関しては言及難しいなあ…… どうなんだろう?どうすれば相手にとってよい心配り、心遣いになるかが大事なのか…… でも自分にとってもよい心遣いになると、己の精神も大切にしながらということでさらによいかもしれん。
良いとか悪いとかうっせーな!好き勝手やるわ!
というのも時にはどうぞ。
考え過ぎも、鬱陶しいものね。私はよく考えてしまうから、めんどくさいなと自分で思うのよね。
今宵もお喋り楽しかったわ。
それじゃあ、ごきげんよう。またお会いいたしますか?未来のことはわかりませんわね。失礼。グッバイ!
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お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
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