きっかけは妹とのけんかでした。
3月上旬の話です。
妹の愚痴になかなか共感ができず、私は口を挟んでしまいました。
妹は嫌だったのか、私に対して「相槌だけうっておけばいいんだよ」と言いました。
なんてことないと感じる人もいるでしょうが、その時の私には、酷く刺さりました。
それから私は妹と目を合わせて話すことが嫌になってしまいました。
母はいつまで続けるつもりなのか、あなたが許せば全て収まるでしょ、と私を責め始めました。
私は嫌だったことを必死に伝えましたが、何一つ分からなかったと言われました。
決定的に味方がいないと確信した瞬間でした。
家にいることが辛いです。私はどこで選択を間違えてしまったのでしょうか。
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味方がいないの辛いね…
お母さんと妹が間違ってたんだよ。あなたは正しい。
共感できないのはきっと正しい。
私だったら母にかみついて、家破壊してますね。間違いなく母は意地悪だと思います。
何なら。母に変わってもらいましょう。
お母さんがお手本になって妹に話を聞いてほしいな。
お前母親だろって噛みついてでも分からせなあかん…って言うのは違うよね。
必死に話しても分かって貰えないの辛いね…
ななしさん
人を相手に対話しているのに、相手に共感しか求めない人っています。私、6人くらい顔が浮かびました。彼らは、何の意味があって対話するのだろうね。
相手が偶然にも同じ考えなら、それはそれでなんか嬉しいし、相手が自分とは違う考え方ならそれはそれで学びになるのに。
自分の考えとは違うただの愚痴を聞いて相槌をうつだけだなんて苦痛です。
愚痴の話し手も、せめて感情を入れずにニュースのように話してくれたらいいのに、感情を込められると聞いているだけでも病気になります。
なので、感情が濃いめの愚痴を聞くのは、余力がある時にしましょう。
そうだ。やってみたことはないけど
「へー、そうなんだ。不快だね‼︎」
と、相手には相槌のように聞こえるような、単に愚痴に対する文句を言葉にするのはいかがでしょう。
時には愚痴を聞くことによって、自らの行動を反省できる場合もあります。
例えば、私が信号のないけど交通量が多めの横断歩道を小走りで渡るのは、車の助手席に乗っていた時、運転手が「早く渡れよ、もたもたするな」と愚痴っていたからです。
自分の意見とは違う感情が濃いめの愚痴を聞くだけでも私みたいに解離性健忘になりますが、感情的に愚痴を吐き出して聞いてもらえないと病気になる人もいるみたいなんですよね、知らんけど。
まとめ。
愚痴を聞くのは余力がある時に。余力がない時は席を外す。
可能であれば、話し手に感情を控えめしてもらう。ニュース原稿みたいな愚痴にしてもらう。
話し手に要望を伝えても無理そうなら、相手には相槌のように聞こえるような、愚痴に対する文句を言葉にする。
愚痴を聞くのも時には学びにもなるけど、無理はしないで。
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