死にたいのに、生きたくないけど逝きたくない
そんなこと毎日考えてる自分は何なんだろうって最近考えます
嫌なことしかなくて、これから先もっと嫌なことが待ちうけてるってわかってて
それでも生きなきゃいけない意味はなんですか?
死ぬのを堪えてリスカに手出した自分を親はどうして全否定してくるんですか?
リスカの傷を否定されたら?お前は生きなくてもいいんだよ、さっさと死ね?って言われた気分になります
こんなこと考えてる自分は誰かにとって必要なんですかね?
死んだ方がいいんですかね?
名前のない小瓶
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お返事が届いています
もふなのだ!🎲🌟🎼
私にとって、「いきたくない」は呪いの言葉。
「行きたくない」が「生きたくない」になって、死のうとしても怖くて「逝きたくない」になって。
人生って難しいよね…
死んだほうがいい人間なんていないよ。
価値のない人間もいない。
きっと誰かが貴方の個性や考え方、生き方を肯定してくれる
ひとがいるはずだから。
今はゆっくり休むのもいいかもね。
頑張らずに頑張ろう?
ななしさん
辛くても頑張りましょう。
疲れたら一緒に休みましょう。
私も死にたいです。けど怖くて死ねないの。
ななしさん
この時間にこのサイトを見て最初のメールに返事をする。何か感慨深いものがある。
生きる意味、そういうものを、私は、20年前に人生に幻滅してからずっと追求していた。追求というか、人生に対する幻滅に、20年間苛まれてきた、と言った方が正確かもしれない。そしてさっき、疑問が氷解したように思った。生きる意味、それは生きることそれ自体だと私は見出した。もうひとつの疑問は、神仏はいるかということだった。それに対しては、数年前に答えを見出して、それを実感していた。
生きることの意味が生きることそれ自体にあるということは、なかなか理解できないことかもしれない。あるとき、私は自宅の小さい庭を眺めていた。そこに雑草がたくさん生えている。それは多分、そのうち引き抜かれるだろう。そして、その雑草の生涯は終わるだろう。或は、あるベンチに座ると、必ずと言っていいほど蟻を見かける。その蟻は、あたりを歩いている。人間に踏まれたら、その蟻の生涯は終わる。或は、あるとき、確か街を歩いていて、蝉の死骸があった。その蝉の生涯は終わった。別の蝉が、多分木で、鳴いている。その蝉も、いつかは死ぬのだ。このようなことを並べると、生涯は儚いとか、そのような感覚に襲われると思う。そしてそれは多分現実としてある。ただ、確かにそれらの生き物には知性がなかったと考える余地はある。それでも、それらは生まれ、生き、死ぬ。その死ぬと言う結果を見てしまうと、どうしても苦しくなる。そして、それらの生涯の中で、そして人間の生涯においても、多分苦しみというものがついてまわる。それでも何故生きているのか、人生がはかないと思う中で何故生きているのか。それはただ、生きると言うこと、或は、生きているという状態を味わうということ、そのことにあると、こうして書いていて思う。それが、私が約40年間生きていて見出したことではある。
苦しくても、生きていること。或は死なないということ。生きていれば、時が経ち、時が経てば、状況や状態も、多分変わる。すぐにではなくても、徐々に変わる。或は、変えようとして実際に変わっていくということもあるし、自然に変わっていくということもあると思う。生きていれば、何かを自分が体験によって学ぶことができる。苦しくても生きることで、何かを学ぶことができる。生きると言っても、積極的に何かをするということとは限らない。苦しみ、悩み、迷い、煩悶して、そのうちに時が経ち、いずれ答えを見出す、或は方向性を見出す。泣いても、わめいても、弱音を吐いても、生きていれば、何か可能性を見出すきっかけをつかむことができる。今苦しみの中にあって、どうしようもないと思う中でも、今何とかして最も苦しい時を乗り越えれば、少しは冷静になれるだろうし、そうすれば少しは自分を含めて、ものを客観的に見ることができるようになると思う。
余り意味がなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。
ななしさん
自分自身を傷つけてしまうほどストレスを抱えているあなたは
本当のあなたですか?
私がリスカを否定する理由は、親や先生にばれた時、大騒ぎに
なったり怒られたりして、またあなたにストレスがかかるという
悪循環になる事が目に見えているからです。
友達にバレたら「やめなよ」「なんで?」と言われ、あなたは
心の中で「うるせーよ、ほっとけよ」って思って嫌な気持ちに
なってしまう。
リスカはやっている時はいいのかもしれませんが、終わった後に
いろいろと面倒で、まったくストレス発散になってない行為
のように感じます。
これから先もストレスと付き合う事になりますが、大人になると
そのストレスを回避したり、解決したり、他の方法で発散させる
事ができるようになります。
学校でのストレスだったら、3年もすれば終わります。
家でのストレスなら、ひとり立ちすれば逃げられます。
今は苦しいかもしれませんが、上手くやれるようにきっとなります。
面白い小説を読んでいる途中のような、未来にわくわくするような
そんな頃があなたにもあったはずです。
少しでも未来に希望がもてるようになれるといいですね。
ななしさん
親御さんに全否定されるのはつらいですね。
つらいときにつらい、と言えたらなあ…
ななしさん
君が大事だからだ
(´・ω・`)
ただ全部否定するのは言う奴がワガママやから
自分の思い通りにならないから
君が気にする必要はない
君は君らしく生きろ
(´・ω・`)
死ぬのは60年後でも間に合う
ななしさん
リスカを否定する人、リスカをしながらでも生きる人、色んな価値観の人が、いていいと思います
生きていれば、何かに気づく事もあり、得られるものもあり
また、小瓶を流してください
リスカ経験者より
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
コメントありがとうございました。
全部読まさしていただきました
途中から涙が止まらなくなりました
ここに書くまでは、自分の存在価値とか、そうゆうのが分からなくて
でもここに書いてコメントもらって、自分は自分らしくいていいんだって
焦る必要がないんだって言われた気がして
すごく安心できました
リスカはやめることができないかもしれません
死にたいと思わなくならないとも言えません
それでも、そんなことを思った日には皆さんのコメントを思い出そうと思います
勝手な解釈ですが、助けてくれてありがとうございました
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。