相談にのってくれる方が居たら読んでくれると嬉しいです。
最近、私は自分自身が分からなくなります。
私は中学二年生です。
私は小学生のときから人の目を気にして人に合わせて生きてきました。
今も嫌われないように人に合わせて学校生活をおくっています。
本当の自分はどんな性格なのか分からなくなってきました。
でも人から嫌われることを考えたら怖くて、どうすればいいのか分かりません。
私は小学校のとき虐められてたからもう嫌われるのが、虐められるのが怖いんです。
誰か助けて下さい。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
こんにちわ高校3年生です
すごくきもちがわかるよ
わたしもあなたぐらいの時から
すごく他人を気にし始めた
他人が不快に思わないように、私を嫌わない様にってすごく気を使ってたら、周りには好い人って思われるようになったけど、自分の気持ちを無視し続けてまわりばかり意識する自分をいつの間にか自分は嫌いになってた。って、なんか矛盾w
好かれたいから、だとしても、まわりに気を使うことは社会に出てから大切なことだと思うよ
誰か一人でも本当の自分を吐き出せる場所を作ると楽かも、家族とか(この人なら私を絶対に分かってくれている!っていうひと)
まだ中学生だから、これから人との付き合い方、自分の欲求の満たし方をたくさん学べはいいと思うよ
自分で書いててワケわかんなく
なりました。少しでも伝わるといいな
ななしさん
私も気持ち、同い年ですし、とてもよくわかります!今友達に嫌われている私がいうのもなんですが、この人は私が嫌いなのでは?と思いながら接していると態度ににじみ出て結構相手に伝わります。それに、永遠に同じ人と過ごしていくわけではないですよね。そんな風に思えるようになったら見方が変わっていくのではないでしょうか?
ななしさん
人の目を気にしているほど
いじめられます。
嫌なら
気にしないこと
自分を出すこと
意見を持つこと
親友を持つこと
ななしさん
周りの視線とかすごく気にする時期ですね。今与えられてる目の前の課題を一生懸命にこなすことが、周りの視線とかを気にならなくなっていくのではないでしょうか?時間かかるかもしれないですが、高校受験なら、勉強頑張り、高校生活を目指して頑張るとか?あわせるなら、あわせながらも、自分の夢だけは、目指してるという気持ちを心に持ち続けながら生きる
ななしさん
まあ出る杭は打つ精神的に軟弱な日本人やからな~
ただ、他人の顔色伺うのは君自身の一つだ
無理に止める必要は無いし
変わりたいなら強くなるしかない
沢山の知識を手に入れるんだ
それが自信になる
ななしさん
私は、誰も、助けられないと思っています。
あなたのことは、あなた自身にしか解決は出来ないからです。
ここら辺が、ちょうど私にとっての解決、と感じる着地点は
恐らくあると思いますが、それは、どの人もそうですが、
ご本人にしかわからないことです。
他人が出来るのは、提案という名の「こういう案もあるよ」の
情報提供のみです。
それを、あなたが活用するかしないか、それによってどうなるか?
の、選択と行動後の責任は、あなたにあります。
ここまで書いた内容の共通点は、主体性があるかないか、です。
以下、元は受け売りですが、私には説得力があったので
ひとつ、提案します。(心屋さんのお弟子さん経由です)
どうすればいいのかわかりません・・の人は、
わりと、何がやりたくて、好きなのかの部分は、蓋をしているので
自分でも見えなくなっている感がありますが、
とりあえず「これはいやです、やりたくないです」に関しては
自覚はあると思います。
小さな一歩として、勇気はいると思いますが、
みんなとは違う意見かもしれないけど、そういう問題じゃなくて
「あたしは、これはいやだ」と思うことを、やめていく行動を
していくのはどうでしょうか?
やめていくと、隙間が出来ます。
隙間が出来ると、自分がやりたいことが、入ってくる隙間が出来ます。
内側から、自然と、温泉みたいに湧いてきます。
私も、模索中の実験中です。
行動したり、逃げたり、ひるんだり、バカになったりいろいろです。
違う街で、年齢もずいぶん違いますが、もがいています。
人は永遠に生きれるわけではないので、
なるべく、生きている間の時間、自分でつかんで満たす生き方の時間の方が
多くを占める、自己充足出来ればいいんだけどな~と
思います。
まいたん
ななしさん
自分自身がわからなくなってきているとのことで。
私自身も似たようなことで悩んだ経験はあります。
そのことで、本当の意味での「答え」は未だ辿り着いては居ないのかもしれませんが、今の自分を納得させている考え方ならあります。
「性格」とは無感情な言葉で表すのであればその個人にとって物事を判断する為の選択の「判断基準」(「天秤」といってもよいかもしれませんが)の根幹部分のひとつだと思っています。
曰く、こちらのほうが好みだ、これは嫌いだ、これは楽しい、つまらない等々。
「性格」の根源的なものが生まれ持った生得的なものであるのか、生まれたばかりは「無垢」でその後周りの環境によって形作られたものであるのかは私には分かりません。
しかし、人生経験を積んでいく過程で考え方やある程度「性格」が変わるということは十分有る事です。
人生とは選択の連続です。考え方や性格が変わる場合、その多くはその人が行った「選択」の「結果」の影響でしょう。しかし、その選択の基幹の部分にはそれまでの「性格」「考え方」があります。
つまり、何をするにもしないにも、その「選択」はその個人の「性格」の影響を免れません。
少なくとも貴方の書き込みだけで判断するのであるのなら、貴方は虐められる事を「怖い」、人に嫌われることを「怖い」と思う「性格」をしていることが読み取れます。
人に嫌われたり、虐められるのは誰だって嫌だろ!と思われるかもしれませんが、そうなった場合の対応、心情は個々で差が有ります。
ひたすら自虐に走る人、周りへの恨みを延々溜め込む人、貝のように閉じこもる人、復讐を決意するも出来ない人、復讐を決意した後実行する人、そもそも虐められた場合に反抗する人、しない人、自身の心を殺す人、自身の心のままにあろうとする人。
それら全てがその人の「性格」「心」「考え方」から導き出された「選択」であるということです。
単純な話、貴方の場合、自身を出すことと、それによって嫌われる可能性があった場合、嫌われる「結果」を怖い、重いと思い、「嫌われない為に自身と出さないこと」を貴方の心が「選択」した結果であるということが出来ます。
そして、それら自身の感情によって自身の感情を押し殺した結果自「分自身がわからなくなる」しかし、言ってみればその状況、心情も含めた上で貴方なのです。
何かがある、それに対して貴方が何かを感じる、そして選択する。
それらの現状こそが今の貴方であるといえるでしょう。
そんなのは本来の私じゃない、と否定するのも、そうかと納得するのも、今後、自身を変えたい違う行動をとりたいと思ったとしてもそれもまた貴方の「選択」であり、貴方の「感情」であり、貴方自身の「性格」の現れでもある。
まずは、自身のそれらを好き嫌い、認める認めないの感情を受入れ認めることです。
認めないことも含めて認めるというのは矛盾しているように見えるかもしれませんが、言ってみれば、何かが嫌いだとして、嫌いな事実を認めた上で嫌いな自分を嫌いで認められなくなる。認めたくない。それをよしとするのも悪しと断ずるのも事実としての自身の選択の事実であり、それら無限ループに陥りかねないもの、その無限ループすら自身の一部である(好悪は関係なく)と認識することです。
言いたいことがごちゃごちゃしてしまいましたが
私の考えを一言にまとめると、「あるがままにあれ」ということです。
人が悩み苦しむのも、もがき足掻くのもそれがその人の「あるがまま」だと思っています。
ぶつかるのも衝突を回避するのも、その人のあるがままの選択であると思います。
その結果、好かれる、嫌われる等の反応はあるでしょう。
しかし、それが人生だと思っています。
ななしさん
中2の私も人間関係が2ヶ月半も上手くいっていませんが、おどおどすると逆にうざがられると思います…。がんばりましょう。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
皆さん、ありがとうございます。
私も頑張って自分なりの人生を歩んでいきたいと思います。
皆さんのおかげで、かなり気持ちが軽くなりました。
本当にありがとうございます。
小瓶主
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。