世の中すごい人がたくさんいるもんだなぁ、すげえギター上手な人ばっかだわ、俺がギター練習いくらしても無駄な気がする。俺がいくらギター練習してうまくなっても、さらにギター上手な他人が現れるような気がする。俺がいくらピアノを捨ててギターに集中して毎日ギターの練習ばっか俺がしてても、俺よりギターうまいやつばっか俺の周りに溢れてる気がする。俺はすごい人にはなれないのかと思うと悔しい、夢を描いて努力していた自分の中の自分が悔しがるような感じがして、同時に自分の中で絶望をもっと欲しがる悲観したがりな自分の存在にも気づく。俺は悲観したがりな自分の中の自分を本当は殺したい、でもそいつは殺すためのものじゃないんだろうなぁ、できるだけ大人しくさせておく。
そもそも俺は人よりなんですごくなりたいんだろうね?構ってほしいのかな?たぶん違う、フッと分かったんだよたった今。俺は認めてもらいたいのさ、たぶん。くだらねぇ。認めて“もらいたい”、なんていうか•••自分がいいと思ったらそれでいいじゃん、じゃんじゃん。じゃじゃんがじゃんじゃん。
結局そんなもんなんだね、俺は別に音楽“が”好きなんじゃないのよたぶん、音楽についてくるものが好きなんだよたぶん。ギターの練習してたのはうまくなって見返すため、ギターの音色の何がいいのやらだよ、正直。ギター弾き語りしてるのいいなぁ、と思ったから始めただけなのよ、その時点で見てくれ重視だったのね、音色が良いかとかわりとどうでもよかったのね。
あー、なんか一気に退屈に感じちゃうね、「ギターだ!ギター!よっし今日も練習だ!」となってたのはいわゆる動機付けってやつで、本当はギター弾くこと自体はどうでもよかったのね、欲しかったのは「うおーすげぇ!俺、お前のこと見くびってたわ!」っていう気持ち?なのよね。で、練習しても練習してもなぜか不思議にも俺がギター弾くの上手になっても俺以上にギター弾くのが上手なやつばっかになっちゃうのね、周囲が。だから、もう無理なのかもしれない。人より秀でることなんて無理だったんだね最初から。なんか残念だよ、剣道捨ててギターに切り替えて結局どっちもダメかぁ。屈辱だね、悔しいなぁ、悔しいなぁ。でも悲劇の主人公気取りはもう卒業したんで諦めますわ、ギターも剣道も諦めます。結局こんなもんだったのか。なんか愚痴っぽくなってきたのでもう止めます。