ななしさん
現状を変えるには常識すらも否定してみるってアリじゃね?
けど、俺は否定ってやり方はあんまし好きじゃない。
今ある肯定は過去の積み重ねで最善であるが故に残っているものだから。
俺の考え方は『否定』ではなく『疑問』。
すべての物事にはそれなりの存在理由があると思っている。
『何故なんだろう』という理由の追求こそが新しいものを生み出す原動力になると信じている。
その理由が見えた時、結果として常識の否定になることもある。
それって自分で考えるんだから自分の意見じゃね?
きっと貴方の求める答えとは程遠いトンチンカンな答えと思うかもしれない。
だが、はたしてそうかな?
まぁ、貴方の考え方も『疑問』のようですが(笑)
ななしさん
三通目の方に横レス。
失礼かと思いますが、「そうだね」で済ますことの、何が一番だと思うの?
小瓶を読んで思ったけど、主語や自分の意見を言わないって事は、解釈の幅が広がることにならないかな。
ってことは、それほど誤解も多くなってしまうこともあると思うんだけど。
小瓶内容について、自分の身に思うことがあって、書かせて頂きます。
解らない事を解らないままに考えてもどうしようもないし、聞いても解らないこともあるし。
疑心暗鬼を生むようなことは避けたいから、疑いすぎてもしょうがない。
嘘を吐くのも、だから良くないし、そういう嘘は俺、吐きたくないし、ね。(地味に自己主張)
自分にとっても相手にとっても、考えが行きすぎて互いの考えにズレが生じるのは、
話が噛み合わなくなったりして困っちゃうから、聞くか、自分なりの判断材料がないとはっきりしない。
時には、その判断が間違うこともある。
まあ、俺がそういう、自分で痛い思いをしたから言える事かな。(泣)
互いに言わないと解らない事も、聞かないと解らない事もあるし、言っても聞いても解るとは限らない。
言葉から、人の思いや気持ちをどう解釈するかって、それぞれ違う。
言葉だけだと、会話とは違うから、相手の事、相手の言葉の解釈が、自分の持つイメージに大きく作用されやすかったりすると思う。
だからこそ、何が良いかは知らんけど、自分や相手の正確さばかりを求めてもどうしようもないし、
相手が自分の発した言葉に対して何を感じたのか、自分自身が相手の発した言葉に対して何を感じたのか、また、それについて何をどう伝えたいのか、伝えたいか否か、という所も大事かと思った。
伝えたいからと言っても、言葉に出来るかどうかとか、相手を傷付けたくないとか、そういうのはまた別にしての話だから、
マナーや思いやりとか、自分がどうしたいのかも加えて考えると、一人一人何が良いのかが異なってくる。
あと、言っちゃあ悪い気もするけど、小瓶主さんも小瓶主さんで、小瓶を書いた背景なんかを書かないと、お返事書くにしても解釈の幅が広まっちまいやすぜ。
吐き出したかったからこそ、そうなってしまったのかもしらんけど。
蛾蝶