祖父が肺結核か肺癌と言われて入院することになりました。
肺癌の可能性の方が高いです。
レントゲンを撮ったら片方の肺が完全に機能していませんでした。
さっき母から電話で「入院するから三週間くらい会えないけど、会いに来ないの?皆、来てるのに」と言われましたが私は家で留守番しています。
私は一時期、母が仕事が忙しくて祖父と祖母に預けられていて、祖父にとてもなついていました。
なのに今、祖父が病気で入院することになり皆ショックを受けている中、私はどうしてショックを受けていないのか
肺の片方が完全に機能していなくて
肺癌だとすると重症だと思いますし、残念とは思いますが会いたいとも悲しいとも思えません。
小学生の頃も、転校して親友と会えなくなっても私は悲しみませんでした。
どうして悲しめないのか分かりません
もし、祖父が亡くなっても私は悲しめないのですか?
さき
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
人に対して情や興味が無いのですか?
たまにいますね。そうゆう人。
ななしさん
現実を受け止められてない…からじゃないでしょうか
大切なおじいさん、それから親友
急すぎたんじゃないでしょうか
大切なら、大切なほど、現実を受け止められないって思います
もし、他の事で、本とか映画とか、そういうことでも悲しめないならちょっと違うのかな。と思いますけど…
いつかその悲しいことを受け止められたら、きっと、わかると思います
それから、あなたのおじいさんが大きな病気ではないことを祈っています
ななしさん
悲しめないんだから、悲しくないんだと思います。
こういう時は、こう感じなきゃ、なんかないです。
おじいさんが亡くなったら、そのとき、出てくるのが
さきさんの感情なだけです。
今、それを思うことは、徒労です。(むだ〜)
いっこだけ、変化球もあって、
(もっとあるのかも。私がしらんだけで)
何十年経って、忘れた頃に、それについての
さみしさ、悲しみが、いきなりのどから、嗚咽みたいに
出るときもあります。
バレーボールの時間差攻撃みたいなやつです。
まいたん
ななしさん
悲しくなくても、いまやどーでも良くても
嫌いじゃないなら見舞いぐらい行ったらどうだろう。
見舞いに行くということ自体は、社交辞令的な意味合いもあります。
どうしても忙しくて行けないならともかく、
もう最期も近いかもしれないのですから、顏ぐらい見に行くのは悪いことじゃないと思うのですけども。
なにより、会ってないから実感がわかなくて何にも感じないということもあると思いますし。
葬式に行ったら泣けてくるけど
あとから「○○さん亡くなったんだって」って聞いても
「ああ、そうだったんだ」で終わる っていうのはよくあること。
なにはともあれとりあえず行ってきて
それから自分がどう感じたか、それはなんでかな?って
また考えてみたらいいと思います。
7ml
ななしさん
悲しまなくても良いから、会いに行きなさい。好きなら。
ショックだからこそ会いたくないんだと思う。
でも亡くなったあとに後悔しても戻ってこない。生きてるうちに会いに行きなさい。
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