そうだ、被害者の辛さ痛みは被害者しか分からない。
だから、分かってもらえるようにすればいいんだよ。
つまり、いじめればいいんだよ。
いじめをすればいいんだよ。
関係ないというなら。
巻き込まれなければいいというなら、巻き込めばいいんだよ。
見て見ぬふりっていうなら、見させればいいんだよ。
綺麗でいられるっていうなら、汚せばいいんだよ。
なればいいとか、口だけじゃダメ。
いじめはどんなに酷いことか、私達が、ちゃんと教えてあげなくちゃいけない。
何も知らない子供達にも、何故してはいけないかを教えてあげなくちゃいけない。
殺すのはダメ。
死んじゃったら、そこまでで終わってしまう。
ちゃんと、いじめをしたらどんなことになるのか、次の世代に語りついでもらわないと。
被害者の気持ちが分かるのは被害者だけ。
だから、わからせなくちゃ。
理解させなくちゃ。
一度被害者になってもらわなくちゃ。
何事も経験させなくちゃ。
体験させなくちゃ。
こうしないと、いじめなんて、なくならない。
目には目を、歯には歯を、アンフェアにはアンフェアを、いじめにはいじめを。
それでいいよね。
それがいいよね。
私達は、被害者なんだから。
私達が、やらなければ。
私達が、教えなければ。
これは犯罪じゃない、道徳なんだ。
さぁ、加害者を、傍観者を、子供達をいじめよう。
いじめられる辛さ痛みを、教えてあげよう。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
わかってて言ってるんでしょ。
いじめられる側の経験あるけど「私たち」なんてものに
頼んでもないのに、
一方的に当てはめないでね。
ちっとも正義でもないし。
この先、どういうふうに生きていくの?
目を向けるのはほんとはそこでしょ?
逃げてもいいけど、そこは、逃げんなよ。
ななしさん
テロや戦争と同じだね。
やられたらやり返す。またやられた方も、やり返す。
もし、いじめられた人が全員が、小瓶主さんのようにやり返したら、どうなっちゃうんだろうね。想像しただけでこわい。
私は悪質ないじめにはあったことがないから(ハブとか悪口とか先輩に待ち伏せされたくらいはあったよ)、ぬるいのかしら。
沙樹
ななしさん
主さんにも色々あったとは思う。
ただ、何のために法があると思う?
傷付けられた人が傷付かないように
傷付けた人が傷付けないように
綺麗事かもしらんけど、そういう事かと自分は思うな。
家族や周りに相談できなくても、電話して相談する所とか、支援してくれる所とかもあるみたいじゃん?
いじめをしたものと、いじめられたものが同じ事をする必要はないよ。
同じ土俵で戦う必要がない。
確かに、語り継いだりするのは良い事と、俺も思うよ。
けど、その時感じた嫌な思いや、許せない思いを、人にさせようとするのは危ないと思う。
耐えろとか、我慢しろとかではなくてね。
考えてみたんだけど、なんかしら、誰かの背中は、誰かが見ている。
いじめでいじめを潰すなら、いじめは減らないんじゃない?
それどころか、それが道徳として根付く可能性もある。
減るどころか、それを良しとすると、ますます増えちゃうんじゃないかな…。
被害者も加害者も増えてしまう。
ずっと、被害者と加害者の関係が終わらない。
嫌な気持ちが終わらない。
>被害者の気持ちが分かるのは被害者だけ。
確かにその通りだよ。
でも、被害者の気持ちのすべてが、解らない訳ではないんじゃない?
本の少しだけなら、解るかもしれないと思うんだけどな…。
解らないからこそ、考えて解ろうとする人達だって居ると思うし。
だからこそ、忘れないでって意味でも、知って欲しいって意味でも
語り部っていうのかが、大事なんだと思うし。
因みに「目には目を」ってヤツは、調べてみたんだけどさ。
元々は「やられたらやり返せ」って事じゃなくて、「やられた分以上の罰は止めとこうよ」
「法の下で罰を与えるなら、やられた側と同じくらいの罰にとどめる事で、お互いに今後仕返し合いにならないようにしよう」
的な意味だったらしいよ。(wikiでハンムラビ法典を調べたら出てきた)
とりあえず、結果どうなるかは、解らないけど、終わらなくなる危険性もあると思った。
それ込みでしようってんなら、一つの手段としてやってみても良いかもね。
蛾蝶
ななしさん
それやってるよね。
いじめた人がある日からいじめられる側になる。
それでわかってるのかな?本当に?
ななしさん
「罪には罰を与えよ」
「それは決して悪ではない」
ななしさん
その理論だと死なない程度にイジメろと?
どの程度が死なない程度?
自分のモノサシで程度を決めちゃう?
なぁ、前に『目には目を』と『因果応報』は違うって言ったことがあったよね?
目には目をは人が人を裁くもの
対して因果応報は因果という自然の摂理が人を裁くもの
放って置いても自然の摂理に裁かれるのさ。
イジメは人が人を裁くものであり、
イジメられたらイジメ返すも、人が人を裁くもので理由はどうあれ同じなんだとわかっていただきたいのです。
つまり、イジメ返した方も自然の摂理によって裁かれるってことなのです。
どんな形で罪を償わなければならないかは凡人の俺にはわかんねーけど、経験上だと、将来の自分の子供が逆転の立場になったりと自分自身で償わなければならないのは軽い罪のようで重罪は自分が大切にしているものを罪の代償に差し出さなければならないようです。
残念ながらそれは子孫延々と続く。刑事罰より重くて怖いんです。
ならば、法裁判は罪かという疑問が生まれてくることと思います。
こんな考えですから、俺は人が人の命を奪う死刑には反対です。
人どうしが作ったルールから外れた場合、何らかのペナルティーは必要だとは思いますけどね。
それと、法裁判がもしも貴方と同じ気持ちで目には目をと
裁くようになれば裁く方も自然の摂理に裁かれることになるでしょうね。
死刑の執行は複数の刑務官が複数の執行ボタンを押す。
それは、罪の意識を少しでも和らげるため。
良心の中にも罪の意識があるってことなんです。
最後になりますが、
貴方は精神異常の殺人者に何を教えてあげられますか?
お願いだから復讐心を捨てて?
穏やかな心を持って?
憎しみは憎しみの連鎖しか生まないんだよ本当に。
ななしさん
もし、私が小瓶主さんのとおりに実行したら…。
たくさんの人を殺すことになるでしょうね。
でも、その人たちのために、自分が犯罪者になることほど馬鹿なことはないと思っています。
私もいじめを受け、いろんな思いをしました。
毎日辛くて、苦しくて、死にたかった。
あれからずいぶん時が経っているのに今も克服できているわけではないけれど、あの人たちが今後、私の人生に介入してこなければそれでいい。そう、思っています。
決して許したわけじゃないですが。
『やられたらやり返せ』
と、かつて母から言われました。
でもそれは、その場でやらなければ意味のないことだと思うのです。
それこそ無関係の人に、傷を負う人の気持ちを分からせるためにいじめをするのなんて、ただの自己満足にしか思えないのです。
それは決して、『良いことではない』です。
私は、自分がされたら嫌なことは人にはしないように心がけています。
たまに上手くいかず、傷つけあってしまうこともあるけれど、それでも私は人を傷つけないようにしたい。
たとえ、人から傷つけられても。
それが本当の意味で、いじめをしてきた人たちへの復讐だと、私は思っています。
私は偽善だと思いますか?
でも、そう努力することは無駄ではないと、信じたいです。
ななしさん
目には目を、歯には歯を。
悪には悪を…。
八雲の読み過ぎですよ。やめてください。非現実的です。
名前のない小瓶
怖いよ!そんなこと言ったら戦争になっちゃうことない?
あなたはそれを実行したいと思うの?
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。