愛とは暖かで優しいものだ、とは最近知った。
しかし、厳しさの中に愛を感じることもある。歪んだ愛に苦しむこともある。
…その違いは、『自分を傷つけるか否か』にあるのかもしれない。
自分を大切にするってことは
心に嘘を付かないようにすることか?
長年の苦しさは案外単純だった。
おかしい認識を見ないようにするのではなく、苦しまないように認識自体を変えていく。
聖人君子な考え方で皆が救われないのは
認識と違うことを、押し付けられるためか。
人に恋愛出来ないのは、性的な目で見る人しか好きになれないのは
自分が、愛をそういうものだと認識しているせいかもしれない。
『性的な』愛なら、何回も見てきたし知ってるし、なによりされてきた。
だけど、精神的な愛は、最近知ったばかりで
知る度に泣きたくなるのは、凍りついた心が溶けた分だけ
外に流れていくからか。
知らないモノは、気持ち悪くて怖い。
知っているモノは受け入れ易い。
つまり私は
精神的な愛を知らなかったから恋愛が怖かったのか?
誰かをなぞるような演技めいた性格。
それは、ありのままの自分を受け入れられないが為に
誰かの真似をし続けたから。
誰かの真似は苦しい。
誰々のようになりたい、じゃなく
誰々の隣に肩を並べる人になりたい が
結局自己肯定に繋がる。
自分を助けてくれた人が今帰省してて
一人なのに沢山気付けた。
…これが自立か。
やっと、少しだけ見えた。
Spica