人を簡単に信じるなと言われた。
信じるから裏切られるのだと。
私は人にすぐ気を許してしまう性格のようで
だからこそ辛い思いもしてきたと思う。
気づくとみんな私の前にいない。
あんたは裏切られた過去から何を学んだの。
そう言われた。
何も学んでいないかのような言われ方。
私が過去から学んだことは
人間関係には必ず終わりがくるということ。
友達でも、恋人でも。
それを理解した上で人と付き合っていかなければならないということ。
だからね、まるで私が何も考えず
ただ同じ過ちを犯しているだけのような言い方はしないで。
だって、こっちから歩み寄らなければ
誰かが来てくれることだってないでしょう?
終わりがくる関係でも
今誰かと一緒に居たいと私は思うから。
失って失って失って
それを経験したからでないと手に入れられないものがありますか?
私にはわかりません。
自分の考えが正しいのかどうかも。
でも、人を信じるということも
そんなに悪くはないと私は思うのです。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
63歳パート主婦、私も裏切られるタイプ、なのにすぐ人を信じちゃう、そしてあれっ、またか〜ってなる、仕方ない正確だから、気晴らしに、好きな事1人ですれば良い!
ななしさん
私も同じような感じです。なんか信じる方がアホみたいな風に周りに言われて悲しくなりました。でも個人的には自分は接したいと思う人のことを信じないっていうことは無理で、でもそれは間違ってないと思うのでこれからもそれを貫きます。
ななしさん
「信じる」とか言葉にはめる必要はないのかと思ってます。
人はある側面しかみえないわけで、一部をあなたに見せてるに過ぎません。
だけど、その側面が全てだと思うから「裏切れた」とかにつながってしまうわけではないでしょうか。
なので常にある距離を持ち、違う側面が見えた時に「こういう側面もあるんだ」と受け止める事ができるかどうかの柔軟性が大切かと。
だから「信じる、信じない」なんてたんなる言葉にすぎませんので、囚われる必要はないと考えます。
ななしさん
私も今日、旦那から同じ事を言われてもやもやしていたところです。
自分は信じて欲しいという割に、人なんて信じるななんて、そういうことを平気で言える旦那の神経を疑ってしまいます。
賛否両論はあると思うけれど、信じないことには何も始まらないのだと思います。
旦那にはもう反論する気も失せたので、必要以上に言うことはやめようと思った1日でした。
ななしさん
わかる。純粋に真っ直ぐ、良い人だと信じこもうとしてた。でもそれはあるいみ、相手を自分の都合の良い人として見ていたからかもしれない。相手のことをちゃんと見る目を養わなきゃいけないんだと思う。相手も人間で、完璧じゃなくて…感情があって生活や人生がある。そして相手は相手の都合がある…。真っ直ぐ、信じようとする姿勢は素敵。でもあなた自身が疲れちゃう。本当に一番信じるのは自分だけでいいんだよ。相手を真っ直ぐ見ようとしすぎて、相手の言葉も信じきって、この人は絶対にしてくれるって思うけど、やっぱそう考えながらも違和感あるよね?きっと、相手を許せる人間になるように成長しろってことなんだと思う…。相手が約束を守らなくても、相手がたとえ自分との約束を優先しなくても…、やるって言ったことをやらなくても。
相手のことを考える、努力をする。
これは私自身のことです。
人は、それぞれ違うってことをまずは認めること。相手も間違ったり、完璧にできない人間なんだということを受け入れて飲み込む…。
そうしたらいつかきっと、その相手じゃなくてもあなたは素敵な人に巡り会える。寛容な人には寛容な人がやってくる。あなたの幸せを心から祈ってます。
ななしさん
色々な意見がある
そりゃ、中には借金背負わされる奴もいれば、人生をどん底に落とされた奴もいるだろう
自分のことは自分でどうにかせないけん
その通りだと思う
だけどさ、人を信じられないってどれだけ可哀想なことで、どれだけ恐ろしいことやら
とんだつまらない人生なっちまうぜ
とはいっても、易々人を信じるな。世間はお前が思ってるほど優しくねぇ
みんな知らん顔して、話だけ聞いて捨てるような奴等だ
けどわたまにいるんだよな救いようがない、バカみたいなお人好しが
そんな奴も世の中にはいる
だから、そう後ろ向きになるな
前向いて突き進め
それでもダメだと思うなら
そんときはそんとき考えればいい。
好きなように生きな。
人間くらいだめんどくさい生き物なんて。
ななしさん
失って失って、その後に
得られるものは本当の孤独です。
自分の頭の中にしかその人たちが
居ません。まるで映画でもみていたかのように、はかない幻だけが脳裏に残るだけです。
でも、思い返す映画の本数が多いのは
豊かなことではないでしょうか。
誰も信じず、誰とも関わらず誰一人傷つけない。
それは完全で貧しい人生ではないかと思います。
天涯孤独の86歳より
ななしさん
すみません、ただ単に検索エンジンで、『人を信じるな』と入れて偶然読みました。私の、今の私の気持ちとまったく同じで驚きました。信じないことより、信じることの方がいいと思って生きているのに、そんな言われ方はないよ…と思うし、裏切られてもそれでも、信じることができる人の方が強い…とか、優しい…と思います。また同じことがあっても、そのとき信じた自分のことを、もっと信じてあげたいと思います。
ななしさん
たまたま訪れました。
僕のようです。
少し最近疲れてますが。
力をもらえた、、ありがとう。
ななしさん
人なんか信じるな。
期待するな。
みんな所詮他人。
私は誰も信じたくないし、
誰からも信用されたくない。
私は自分すら信じられない。
ななしさん
私の考えですが、信じてない人に限って期待に叶わなかったら、信じてたのに裏切られたって言うと思います。
信じるってその人を信じてる自分を信じる事かなと。この人だったら、どんな結果になってもいいって思えるくらいの相手だと思います。
信じたり、人に優しくすると、自分が一番気持ちがいいし、楽です。優しい気持ちでいると自分が一番楽しい。
だけど、盲目的に信じるのは、現実から逃げてるだけです。
信じる為には、それなりに、自分以外の人の態度を見たりだとか、その人と自分含めた他者との色んな経験を通して自分の目で冷静に判断する必要があるなぁと。
2、3年、もっとかな。相手を知れば知るほど好きになればなるほど、結果を求めなくなるのかなと。いちいち信じてるとか言わなくても気付いたらあら、私この人の事信用してるのかしらと気づく事ですかね?
ななしさん
信じる相手を間違うな。
信じるとはなかなか出来ないものだ。
全ては自分を信じるに尽きる。
ななしさん
僕も同じ思いを抱いた。
美貌さゆえの慢心にふりまわされていたことに気づかずに。。。
だけど人を信ずることをやめようとはおもわない。
ななしさん
期待と信じるって確かに別かとは思うけど何か似ている面もあると感じます。
どちらも相手を自分の一部分として見ているのかなとも感じられます。
信じる、信じないは個人の自由なので自分以外の人間が信じろとか言うものでもないかと思います。
ななしさん
何もないのに最初から終わる前提では、誰も歩み寄らない。
むしろ離れていかれる。
その人を理解するワケじゃないから。
その人を信じてるワケじゃないから。
信じるってことは、相手を信じる自分の気持ちを信じること。
自分を信じての結果ならそこに裏切りはないし、何も怖くない。
期待することと信じることは違うよ。
あと、自分だけは信じられるなんて、嘘。
他人を信じられないと自分も信じることは出来ない。
その人を信じるという判断をしたのは他でもない、自分自身だから。
ななしさん
相手をちゃんと理解せず
知らないままでは
信じる箇所も見つけられないし
裏切るという行為も
裏切られるという行為も
存在しません
ななしさん
信じるも裏切るも、その言葉を使う側の勝手な決めつけだと思う。
言葉それ自体の意味は互いの関係の親密さまたはそれを切ることなんだろうけど、その図式が成り立つのって互いに同程度の認識をしてる時だけ。
少しでもズレがあれば片方にとって裏切りであっても、当事者はまったくそう思わないだろうし。
ななしさん
あたしも期待はしないな相手に。
期待すればするほど不満とか溜まるし、結局は自分しか信じられません。
期待する人ほど、「信じてたのに」とか、「裏切られた」とかって言うんです
はじめから期待なんかしないで良いんですよ他人に。
そしたら気楽になれるのにね。
協調性とか、チームワークとか
そんなのばっかりに考えを捕らわれるから生きずらいんですよ
ななしさん
歩み寄る相手は選べってことじゃない?
会う人会う人みんな無条件に信じる!ってみんな信じてないのと同じだと思うんだけれど…
あなたを信じる!とだけ言われてもあなたは私の何を知ってそう言ってるのってなるし、私の経験でいうと、そういう人って相手が自分の思い通りにならないとすぐ裏切られたって言うのよ。
ななしさん
信じるとか裏切るとか語るには、まずそもそも信じるとかどういうことかってから考えないといけないね。
私もイマイチよく分かってはいないけど、単に相手に盲目になることと信じることは違うってのは分かる。
まずは相手をきちんと理解することからだと思う。
でないと信用も信頼もない。
そうでないとただ信じる信じるだけじゃただ自分の期待を勝手に押し付けてるだけになる。
ななしさん
私も人に裏切られたことがあります、ですが私は、ずっと信じます。どんなことがあっても、私は、裏切りません。
だって、裏切ったら、同じようになるから
ななしさん
信じるというか
期待しない
に尽きると思います、何事も。
ななしさん
簡単に人を信じるな。ではなく、信じられる相手を見定められる目を養う事が重要なんだと思います。
相手を過大評価せず、さりとて過小評価もせず適正に相手を評価し行動する。
これが出来る人ってそう多くないと思います。
ななしさん
むしろ裏切られて本望、じゃないとなって思う。
ななしさん
果たしてそうでしょうか。
「信じる」の反対は「信じない」なのでは。多分、「裏切る」は「信じる」の延長線上にあるのだと思います。その人を信じたから裏切られたのであって、それは期待した自分に寄りますがそれも教訓だと思えば良いのでは。塞ぎこむよりさきに、その人と関わった自分を誉めてあげるのが先なのでは。
裏切られたくないから信じない→何を見てもつまらない(他人と共感できない)→自分を知ってもらう為に他人にあたる…と。そんなのより安易に人を信じてしまう方が私は人間らしいと思いますし、健全かなぁと。かっこいいなとすら思います。
期待を裏切られるって良い意味で使いません?
ななしさん
あなたがそれでいいのなら、それがあなたにとっての正解なのでしょう
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。