親に虐待をうけていた私は、言葉を発することができなかった。
皆がお遊戯をしたり歌を歌ったりしてるときもただ見ていることしかできなかった。先生は私を叱った。皆と同じことができない私を叱った。
私はプールに入れなかった。水は恐ろしい物だから。言葉とは言えないうめき声のような叫び声をあげながら水に入るのを拒絶した。
不気味だからか、先生は何も言わなくなった。親も私がプールに入らないことを知って、夏場も私を傷つけた
小学校は地獄だった
周りからの目がとても痛かった
ストレスで胃が荒れて、物を食べるとすぐに戻してしまった。日に日に痩せていく私に、先生は声をかけてくれた。そこまではよかった。先生が家に来てしまった
父と先生は楽しそうに話しをしていた。
自分も教師だから息子がとても心配だ
母は先生に心配そうな顔をして言った
私も医者だから息子をなんとかしてやりたい。普通に接してやってほしい
先生が帰った後、私は気を失うまで殴られた。
中学生になると、耳が聞こえなくなった
精神的なものらしく、急に聞こえなくなった。私を冷やかす声も親の罵倒も聞こえなくなったけど、親の言うことまで聞こえなくなってしまったことは、親を苛立たせた。
高校に行かせてもらえると思っていなかったが、無事に高校生になれた
高校では、私のことを気づかってくれる人が多かった。私にとってその環境はなれないもので、長居すると冷や汗と吐き気が止まらなかった。
クラスメートのOと海に行ったことがある。水泳をしたことがないと言うと、驚いた顔をされた。ラッシュガードの存在を知ったのもこの時だったと思う。
初めて見た本物の海は綺麗だったが、やはり水は恐ろしい。
浮き輪で水に浸かるのが精一杯だった。
半ば無理矢理連れられて海に来た私は、ついうたた寝をしてしまった。気が付いた時にはかなり沖に近い所で、慌てて浮き輪からずり落ちた。すぐに浮き輪に手を伸ばしたが、滑って更に遠退いてしまった。
目を覚ました時はコンクリートの上だった。私の息は止まっていたらしく、同伴していた人達の顔は真っ青で強張っていた
Oはライフセーバーのバイトをしていたことがあるらしく、適切な処置のおかげで助かった。この日を境に私はOと行動することが多くなった。
声が出ないのが精神的なものだと知った時は、ネットで調べて方法を考えてくれた。行ったことがない所、やったことがないこと。色んな所へ連れていってもらった。
虐待は続いていたけれどだ辛くもなくなった。次第に聴力は戻っていき、Oの声を聞いた時はこんなにも低い声だったのかと驚いたが、自分のことように弾む低い声が、耳に心地よかった。
吐き気も孤独もなくなった。
今は毎日楽しいと思う
喋る練習を辞めずに続けたら、きっと普通になれるかもしれない。
普通になれたら、一番にOにありがとうと言いたい。今辛くてもいつか幸せになれると思って、皆さんも頑張ってください