名前のない小瓶
わたしが、人間的に尊敬する人が
あなたと同じことを言っていた。
その時点でのわたしは(って、昨日)、
悲しいかな、言ってる意味がわからなかった。
どこかで、これは、わたしに関しては真理をついていると
気づきはあるんだけど、
どこがどうで、どうなのか?までは、
それまでの価値観で凝り固まっていて、
なにもわからなかった。
いまも、まだ、実生活の中で理解したという
手応えが小さいので、ほんとはそういう状態で
書くのはどうかな?とも思った。
でも、あなた、変なこと言ってないよ。
自分が否定しているものを、わざわざ口に出して
相手に伝えないと気が済まないのかねーと
いうようなことを、同じく
じぶんが尊敬する人が言ってたんだけど
これも意味がわからなかった。長い間。
ケンカ売ってんのかよ、くらいしか、思わなかった。
それいっちゃー、ニコニコ動画の
大量のコメント自体、該当している、ムダの嵐・・と
昨日、又吉先生芥川賞生中継映像見ながら
ふと思った。
なんかねー、だったら、共感なら良くて、
否定は言っちゃだめなの?という疑問が
どうしても出るんだよなぁ。
あーちがうわー
問われなければ、否定のほうは、特に言わんでも良い
かな??
やなら、選んでないし、行動として、実際。
他人かんけーねーし。そこは。
共感しなけりゃ、ふーんそういうのもあるんだ〜っって
ことなので、「そーなんだー」でいいんだと思う。
他人の小瓶で、気づきワークを、してしまった・・
(すまんね、お題になってもらっちゃった)