中学3年です
"生きる意味" がわかりません
私は中2の頃まで楽しくまっすぐに
思ったまま自由に裏もなく生活していました
しかしクラスの女子の間で私は悪口の対象になっていました。私はそれに全く気づかず周りの人の不満はたまりクラス女子全員に責められることになってしまいました。
その中には私は凄く信頼を持っていた友達も
何人かいました。しかし私は悪口を言われていました。
クラスの女子全員に責められたあとそのことは
男子にも広まり、というか男子もぐるでした笑
私の好きだった男子もぐるで私にわざわざ好意あるように接してきて告白させてみんなの前でふられました笑
あんなに楽しかったのにあんなに仲良かったのに笑好きだった人だって顔赤くさせて照れてたのに笑
クラスの女子に責められた次の日から私はもう学校になんて行かないと思いました。でも一人私のことを裏切っていた友達でしたが支えてくれる友達がいました。私はがんばって行くことにしました。クラスの女子に責められた次の日の学校はまるで知らない人が来たような驚いた表情をしたクラスメイトがたくさんいました。私は辛くて仕方なかったけど耐えるしかありませんでした。だんだん改善されてきて好きだった男子は私に優しくしてくれるようになりました私は正直救われました。
クラスの女子に責められた次の日なんて私のことをすごい目つきで睨んで来たのにまるで人が変わったように優しくてなんなの?と思いましたが、
だんだん周りの女子とも話せるようになって
まぁもとの仲に戻ることはできませんでしたが
信頼のある友達とはほとんどその出来事がなかったかのように今では仲良しです。
新しいクラスになってこころ入れ替えてこれから頑張っていこう新しく人間関係を築いていこうそう思いました。しかし思った以上に今まで以上に難しくて、
見た目仲良くても裏ではクラスの女子ほとんどみんな相手の悪口いって
話の合う友達もいますがその人も本当は私の悪口を言っているのではないか?
ささいなことでも思うようになりました。
どこかで友達が笑っているなら自分の悪口を言われて笑われているのか、と思うときもあります。私は何を信じなんのために生きればいいのでしょう。
この先高校になってもきっと人間関係はこんなもんなんでしょう。いやこれ以上に複雑で今まで以上に不安も辛いことも襲いかかるのでしょう。なんのために生きているのでしょう?
友達とうまくいっていた2年の初め頃に戻りたいです
私はもうあんなふうに戻れないでしょう。きっと
だってまたクラスメイトに裏切られてしまうのが怖いから
もうあんなふうになりたくないから
私はクラスの女子に責められたことがきっかけでこんな考え方になってしまったのでしょうか。
私はもっと明るくてなんだって信用して裏なんて考えない人間だったと思います。
今ではこの人は私の悪口をいっている
明るくしてたら影てウザがられる
こんなに仲良く話せてても
裏で何言われてるかなんてわからない
こう思います。
あの記憶を消せたなら、
なんのために生きるのでしょう
不安と孤独感の中で生きる意味はあるのでしょうか、この先幸せはくると思いますしかし私は不安と孤独感、辛さそういったものが怖くて仕方ありません私は消えてしまいたいです。
41855通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
お強いですね。乗り越えてなお次の場所を見ているなんて。
私は同じような体験を数年繰り返し、今でも他人を信じられません。他人と共に生活が出来ません。こんな人生なので生きる意味など無い、というのが持論です。
意味なんか後付けだと思ってます。
どう生きたか、が生きる意味なんじゃないですかねぇ…
つまらない独り言でした。
ななしさん
逆に考えましょ?
将来何も知らずにいたら、もっと酷い目にあったかもしれません。
人の心を教えてくれたクラスメイトに感謝です。
あなたはクラスメイトのおかげで少しだけ強くなれたじゃないですか。
ななしさん
わからんぞ。高校、大学、社会。今よりマシな環境になることだってあり得る。取り敢えず高校は中学の奴らが行かないようなところを選べば可能性は広がる。
ななしさん
君はがんばるんだ
ガキは誰かを押しのけようとする(誰でも良いから)
そんな小学生程度の子供にキミが付き合う必要はないんだ
がんばれ
(´・ω・`)b
ななしさん
生きる意味はあくまで自分で作るもので何処かに在る物ではありません。それに陰で貴方の悪口を言っている人みんなが本気とは限りません。誰か一人または2-3人を恐れてそいつらに心ならずも迎合しているだけかもしれません。だから悪口を言った次の瞬間に身方のように振る舞うなんて人も必ずしも二股掛けてる信用できない奴とは言えないと思います。貴方自身もしも同じ立場に立った場合自分だけは友達をたとえ自分は不利になっても庇える自信が有りますか?
ななしさん
あなたは苦しみを背負っている。それがどこから来るかとなると宗教的なことになるので深入りしない。日本の神でも仏でも、あるいはイエスでもアッラーでも、そのようなものを信じられるのならば、それらを信じるのもいいと思う。
あなたがするのは、ただ耐えること、そして善いことをすること、突き詰めればそういうことになると思う。耐えるには普通何かを信じていなければできないから、何かを信じればいいと言っただけである。人間は、一人でいられるほど普通強くない。それでも、自分の今の苦しみに耐え、それがはやくおわるように、善いことを続ける、そういうことだと思う。
人間に対する見方は、あなたが今までの人生とこれから生きる人生とによって形づくられまた変えられていく。人間というのは、それほど優しくない。純粋な人間に対してならば特にそうだ。苦しみに耐える、そんな使命を背負って生きている、そう思っても悪くないと思う。ただ苦しい、今はそう思うと思う。それでも、人生で人間はいつかは苦しまねばならないから、それが今の若い時期にやってきたと思うのがいいと思う。
生きているのはつらいことだ。苦しみを背負っている人間ほどそう思うと思う。ただ、若いときにしか耐えられないものもある。あなたは外の人が青春を謳歌するときにそのエネルギーを苦しみに耐えるために使うのだと思う。そのときに、他の人を羨むよりも、自分の今の苦しみに耐えるためにあなたのエネルギーを使った方がいいと思う。確かに耐えるだけが方法ではない。けれども、それが一番基本的な方法だから、それを身に付けておくのがいいと思う。耐えているうちに耐えることを知り、また耐えることが出来るようになる。まだ子供だから耐えることに慣れていないし、そのための体力もついていない。ただ、あなたが受ける苦しみを自分に向けるのではなく、自分が打ち込める何かに向けるのもいいと思う。自分にその苦しみを、自分を責めるなどして向けるから苦しいということもある。
まだはやいかも知れないが、ストレスに対処する仕方を、本などから得ておくのも大事だと思う。他人は普通そういうことは教えてくれないから、本あるいは相談相手ないし医療関係者などから得るのがいいと思う。今の苦しい時期に、人生をどう生きるかについて知るための時期と捉えて、勉強の傍ら本などから教えて貰うのもいいと思う。いつも書いているものだが、マルクス・アウレリウスの『自省録』とかスマイルズの『西国立志論』とか、あるいは世界の名言集とか、読んでみるのもいいと思う。自分が読んですすめられるのはそんな感じだと思う。
日本の神あるいは仏に祈るとして、他に祈る対象がなければ、千手観音に祈ることをすすめる。
この辺で書くのを止める。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。