あの人だから 特別だから 天才だから 才能があるから
そんなのもうやめにしないか?
確かに生きてきて、培ってきたものは違う。
そこから出てくる考え方だって、やり方だって、どうやっていきたいかの思いだって違う。
持ってるものも、出来ることも違う。
違いだらけさ。
本当に同じものなんてどこにもないくらい違いだらけだ。
じゃあさ、違うんなら、同じようには出来ないって言うなら
自分でならできるんじゃないの?
同じように上手くできるか、なんて
保証はどこにもないけれど
自分の思うように上手くいくかなんて
そんなことは全然ないだろうけど
特別だって思ってるそいつらとは違っても、似たようなことができない道理がない。
天才じゃないから出来ない道理も、才能がないから出来ないなんて道理もない。
上手くいってそいつらより先を見れない道理もない。
もちろん挫折だってあるだろうさ。
上手くいかないことのほうが多いくらいさ。
でも、わざわざ「そいつら」の真似をする必要があるのか?
真似が悪いって話じゃない。むしろ真似たほうがいい時もあるだろう。
でも、違いだらけだ。
だから、真似して上手くいく保証もない。
自分のやり方で上手くいく保証もないけれど
自分で、自分のやり方でもいいじゃん。
みんな特別なんだ。
その中でも運が良くて、それを掴もうとして
上手く行ったりした奴らが天才だのもてはやされるだけだ。
上手くいったように見せかけたやつはもれなく崩れ落ちていく。
自分がこうだ と思ったことを
やってみればいいじゃないか。
もちろん失敗はつきものさ。
失敗するのは困るけど
失敗がついてこないと、成功した時面白くない。
全部さらけ出した本番の緊張感だって、なかなか面白いものじゃないか。
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
はい。小瓶主です。
六通目の方へ
そうですね、何回目でしょう、冒頭にそうですねと言うのは(笑)
陰陽どっちもある、はありますが、あると言うよりは陰陽を作っている、ということかもしれません。
いらないことだった、もそうで、場合によっていらないんじゃないか、ってことです。
悪いことじゃないけれど、回り回っていらないなんて、それを捨ててしまうなんてとんでもない。それも、場合によっていいものにならないとは限りませんから。
たぶん、必要な場面で何を選んでいるか、に関わる話でしょうか。
その場合を見ているのも各々自身で、場面を作り出しているのも各々なので、それが時に行動のつっかえになってはいないかな、と。
冒頭から一貫しているのは、学びの先導となる、職業で言えば教師や立場で言えば師匠などと、友達や良き隣人などの違いはどこにあるのか?という感じです。
どちらも背中を見る意味で学びの先導ですし、尊重も尊敬も憧れもそれらの反対もあるのに、一体何が違うのかと。
まあ、僕が書いた小瓶もそうですが、別に明確な意味も答えも、なくても良いんじゃないかと思っていますね。
だからあやふやな感じや、こう、長くなってしまうのでしょうけれども。
7通目の方へ
そうで(以下略)
細かい事を言いますが、優劣そのものを価値観の軸にしても、たぶんそれだけで自分を保てなくなっていくのではないと思います。
いつの間にか自覚なく価値観の軸が変わっている事で、自分を見失って保てなくなる、保つものが何かもわからなくなる、という事を経て、勝ち続ける事に通じるものを見出したりして持っていたものを保つ事が疎かになる、みたいな感じではないかと最近思っています。
なので、自分への自覚と自認などがあるとそこまで影響のあるものではない気もします。
でも、後から考えてみると、実は自分を保つ事に価値観の軸の有無(優劣)が必ずしも必要なものではないから、見失うんじゃないかと思いつきました。
若干貴方の意を得ないのですが、優しさの優劣は少しながら考えた事があります。
考えるのは面白かったですが、僕が今現在落ち着いているのは優劣をつける事にあまり面白みを感じないってところです。
まず優劣ではなく、受け手によって、どう感じるかの大小も関係しているものですよね。
さらに、一人一人の生き方という土台が違うので、中身が違う。優しさと思う事も思える範囲も、違う。
そこに自分の優劣を入れても邪魔に感じてしまいます。
その場その場で出来る優しさをやるしかないんだと思ってますので。
まあ変な話、優しさをやるなんて事は僕には出来ませんし、そもそも優しさがなんなのか知りませんがね。
僕は考える事が好きですが、同時にめんどくさいんです。好きだけど同じくらい嫌いだと思ってる。
窮屈なんですよね。好ましいから不快な気持ちを押しのけるなんてのは。しないってこともないですが。
で、言葉にするのがこれまためんどくさい(笑)
まあ優しさは知ってどうこう出来るものでもなさそうですし。
何かにどこかで偏ったり固執しなければ生まれない、決して独りよがりではない思いやりのある優しさもあると思いますし。
本当のところ思おうが言おうが一人でどうこう出来るものでもないと思っています。
それこそ運かもしれませんね。
うまく掴めるか掴めないか、知らずに拾うか知らずに落とすか、わからないままに。
・・・これこそ、どうとでも受け取れますがね(苦笑)
でも経験しない事には面白くないので、わかったような事を言い続ける所存であります。(傍迷惑)
ななしさん
他人との優劣を価値観の大きな軸にしてしまうと
勝ち続けなければ自分を保てなくなりますよね
優しさの優劣って考えた事ありますか?
面白いですよ
ななしさん
陰陽どっちもある、のことかな??
言いたかったのって。
(分けたり、片方へ偏り切って、それに固執する発想自体、
自分のアタマで考えてみるという
経緯(経験)としては、悪いことじゃないけど、
回り回れば、主にとってはイラナイことだった、という
話なのかな?)
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
三通目さん、お返事どうも。
はい、天才以外は上手くいきません。
でもね、たぶん天才は、一時のものでしかないです。
たまたま上手くいった事が、大々的にとりあげられたりしたからです。だから、天の運の才なのではないでしょうか。
その人その人にとって、おそらくチャンスが巡ってきた時に、今のタイミングしかない!って振り返ってみると思えるような時があると思います。
僕としては、それが稀稀上手く行ったのが、天才です。たとえその上手く行ったというのが、失敗の方向に上手く行ったものだとしても。
誰しも天才になれる可能性はあります。というか、意識しなくても運があったかなかったかわからない事もなくはないですか?
大々的にとりあげられるから、天才という訳ではないと思います。世間に上手い形で取り上げられるそれも、メディアの技術はありしも、たまたまだと思っています。
僕は、天才が特別な事だとは思っていません。
ありふれすぎているくらいだと思っています。
天才抜きに考えたって、天才ではないから失敗するということではないです。上手くいかないわけでもないです。
でも、上手くいくかどうかは、後でしかわかりません。
自分にほかの才能があるだろうからもっと努力しろ、というのは、悪いですがはっきりきっぱりと違います。
しかし、そう受け取れるように書いたのは僕なので、すいませんでした。
自分のやり方でいい、というのは、そのままです。当たり前の、言う必要もないくらい、意識する必要もないくらい、誰しもの当然のことです。
呼吸しているように、無意識も意識も含めた、生きていることです。
天才しか成し得ないと思う事で、というのは同感です。
けど僕は、言葉で簡単にまとめるということがまだまだ下手なので、それは頑張りたいですね。
どうしても、こんな風に長ったらしくなってしまって。というか、もう性分なんじゃないかと疑い始めてます(酷い笑)
因みに、言い訳させてもらうと、はっきりすべての人に向けようとして書いた小瓶ではなかったからです。
というか、僕にはそんな芸当無理です。
ななしさん
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主です。ありがとうございます。
なんとなくお返事を返してみたいと思います。
ちなみに僕は特別だとか平凡だとかに疑問を感じていて、その疑問に対して思う所を書いてみた、という自分で言っていてもよくわからなくなりそうな小瓶です。
言ってしまえばなんとなくお返事を返すように、なんとなく書いてみました。自分宛かもしれないし、誰宛でもないかもしれない。
一通目の方へ
そうですね、みんな特別だからこそ、それが平凡になって、特別さを見失ってしまう。
当たり前のことですが、当たり前だからこそ意識しなくなってしまう。
そして、より突き抜けたものを、刺激を求めてしまうのかもしれません。
けれど、いつから当たり前になって、いつから平凡として特別さを見失ってしまうのでしょうかね。
たぶん特別も平凡も言葉の違いはあるけれど、さして変わらないことで、どちらかが欠けていると感じると、欠けていない方が大きく見えてしまうのではないかな、と思い付きました。
二通目の方へ
そうですね(2回目)どう言いましょうか。
自分というものは、なんて小難しい言い方から書いてみますが、生まれて目が覚めた時からこの世に何かがあるので、それを見ていますね。誰かから何かを、何かから何かを学んで行く。そうして自分が出来ていく。
で、そうなると自分を作っていくものは自分であると同時に自分ではない他者でもあると言えるんじゃないかと思います。
ということは、確かに違って誰一人として同じではないけれど、似ているかに関わらず同じと言えなくもないと思うんです。
けれど、またそこを考えると、目覚めて周りを見る前、何も見えない時から自分がいて、そこは一体いつどこなのかは知りませんが、そこからの唯一無二の自分と言えなくもないものも、あるんじゃないでしょうか。
若干哲学から宗教に片足を突っ込み始めた気もしますが。
で、そうなると何を持って特別だの平凡だのどんどん訳がわからなくなっていくのですけれど、たぶんそこは自分の見え方の問題なのかな、と思います。
となると(まだ続く)おっしゃるように比べるものがそもそもなくなってしまう。というか物凄くめんどくさくなりました。
そうですね、この小瓶で本当に言いたいことは、比べてもいいんですが、他者と自分を比べる際に浮かび上がる、これは出来ないこれは出来るという無根拠な自信の、出来ない方についてですかね。
思うに無根拠に何かを信じてるというのは、切っても切れない縁があるのかもしれません。
何も、出来る出来ないと思っている事が悪いんじゃないですが、この小瓶でいうと出来ないと思う事で自分のやり方を失わせていないか、と思ったんです。それも、いい悪いじゃないですが。
そんないいか悪いかなんて、それこそ時と場合によりけりだと思っています。出来ないと思うことから出来る事が見えたりもしますし。出来ると思って出来ない事もありますし、出来ないと思って出来る事もありますし。
たぶん伝えたかったのは、その出来なかった怖さに怯えて力を入れることを、勇気を出す事を戸惑わないでって気持ちです。
諦めないで、に近いですが、諦めないでではない気もします。無理な時は無理なので。
すんません、自分でも書いた時のことがよくわかんないので、それを知るためのダシに使ってしまった感がバリバリで・・・(苦笑)
最後に付け加えるなら、極論、時と場合によりけりです。だからこそ平凡だけど変えの効かない特別な自分が大事になるのかな、と。
だからこそ、時と場合がなりたつんだと。
上手くいくかは、わかりませんが。
だから逆の時もあるでしょうが、失敗が減ることも、成功することが増えることもあるんじゃないかと思いまして。
まあ、色々どうでもいい事を書いたのは小瓶主からお返事くれてありがとう!のおまけだと思ってください。てへっ☆
えっ、御用?
旦那!それだけは旦那の寛大な御心に免じてお情けを!!
お願いしますお情(この小瓶主は天誅されました)
ななしさん
みんな特別
その中でも運が良くて、それを掴もうとして上手く行ったりした奴らが天才だのもてはやされるだけ
上手くいったように見せかけたやつはもれなく崩れ落ちていく
これって結局、天才以外はうまくいくことがないってことですか?
失敗続きで成功しない人も、きっと面白くもないと思いますし、見せかけた人たちがいるから天才が特別になるんだし、自分にほかの才能があるだろうからもっと努力しろって言ってるんですよね?
天才しか成しえないって思うことで前に進める人もいるんですし、もっと人生を簡単にまとめても良いんじゃないでしょうか?
ななしさん
主さんが言っているみんな特別は比べるもののないその人自身のことだと理解しました。違うのは当然ですね。
ななしさん
みんな特別は
みんな平凡
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。