優しいねと言われます。
いい人だねと言われます。
嬉しい、だってそうなりたくて今まで生きてきたんだから。でも、今はそれが苦しくてたまらないのです。
小さいころから正しく優しい人になりたいと、ささやかに願ってきました。みんな仲良し、みんな大好き、みんないい人…。きっと誰もがそうあっていたいと願うのだろうと…だから私も「いい人」にならなければと、嫌いな人は作らず、誰にでも優しく接し、親に反抗せず、悪口を言わず、文句を言わず、生きてきたのです。
馬鹿ですよね。
そんな純粋無垢に生きていける訳がない、はずだったんです。けれど、今まで私には出来てしまっていました。
幸か不幸か、わたしの”我慢”の容量は人並みより大きかったらしいのです。
言いたかった悪口、したかった反抗、伝えたかった本音、罵り、怒り、悲しみ…わたしは全て我慢の箱に閉じ込めて、笑って生きてきました。
けれど、箱にもいつかは限界がきます。
溜まりに溜まったモノはある日突然溢れ出してわたしは倒れました。
その時わたしは今まで見ていなかった自分の中の「悪意」を実感したのです。白くいたいが為に目を背けてきた自分の悪意が、後ろの方で箱の蓋をカタカタと音を立てながら揺らして静かに、けれど確実に溢れ出てきます。
怖い。
怖くてたまらない。
人とは自分の負の感情と折り合いをつけて生きていくもののはずなんだ。そう、これはその道から逃げた罰なのだ。折り合いのつけられない私とって、自分の悪意はもはや自分のものではなく、手のつけられない猛獣そのものだった。
「この箱を開けたらきっと何もかも壊してしまう」そう思うともう蓋すら閉まらないその箱を押さえつけるしか、わたしには出来なかった。
苦しい。
吐き出してしまいたい。
けど、その途端に私の夢は終わってしまう。
みんなが好いてくれた私はなくなってしまう。
本音を伝えてこなかった私に、本当の私を受け入れてくれるような友人がいるとは思えなかった。
蓋は閉まらない
カタカタを溢れ出す
このまま共倒れしてしまえたらどんなにいいのだろうか
名前のない小瓶
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お返事が届いています
ななしさん
思った事をだらだら書くので、長くなります。
そうだなあ、純粋無垢ってなんだろう。
子供の時のように。大人でも未知の冒険への子供心を忘れないように。
主さんの求めていたそれも純粋無垢だよね。でも、誰かからすると俺のも主さんのも純粋無垢とは言えないかもしれない。
あえて考えてみたんだけど、純粋無垢っていうのはつまるところ、素直で無知って事じゃないかなと思った。
で、そうすると主さんの優しさなり、自分のなりたいと思ってやってきた事は素直だし、その時の自分は自分の悪意のようなものがこんなに恐ろしいものになるとは考えてもいなかった。
なら、それも一応純粋無垢ではあるんじゃない?純粋無垢ではない一面も持っているというだけで。
幼い頃は善意も悪意も分別がない。そうした中で善悪や正否の概念を知り、欲しいものを取ろうとした。でもその後、そのままではいられないんじゃないかと思い始めた。
蓋が開きかかってる、と。よくよく思うと、不思議と昔の分別のない状態というか、壁のない状態に戻り始めてない?
もしかすると主さんのどこかで、負の気持ちも自分だって思いがあって、壁の厚さに疑問を感じ始めたのかもしれない。
甘い事かもしれないけど、人を殺すとか酷く傷つけるとかじゃないなら、蓋をして押し込めた悪意のようなものに対しても優しくしてあげてもいいんじゃないかな。
どんなに自分からかけ離れて猛獣みたいに恐ろしくたって、自分の欠片はあるんじゃないの?それに一応蓋というか、檻みたいなものはあるじゃん。
だからその出来る範囲で、悪意に耳を傾けて優しくしてあげればいい。でもそれは、甘やかすことじゃ決してないから、意見が食い違ってぶつかった時は自分の思ってる事をしっかり言ってやれ。相手の事もなるべく理解してやれ。そうじゃないと一方的で話し合いじゃないような気がするし。
というかむしろ、そいつに対して押さえつけるでも構わないから、自分なりに本気で向き合ってやったらどうかな。自分がそうしたい事とは別にして、ちゃんと現状の自分もいるんだから、もしこのまま純粋無垢でいたいなら置いてけぼりにはできないだろ。
今、主さんの「いい人」が、変わり始めているように思うんだ。あの時の「いい人」は、決して今でも最高の「いい人」とは言えないかもしれないね。
小瓶主さんは生きてきて、いろんなものを見てきたんだと思う。だからいろんな事を思って、考えて、動いて、得てきたものもあると思う。
なら、昔抱いた夢に手を加えたっていいじゃん。付け足したって、削ったっていいじゃん。
そしたら夢はずっと終わらないんじゃないかな。
だから、少しずつで良いから、悪意と一緒にでも、いい人を考えてみない?
悪意って言ったって、主さんのは優しくしたり、いい人であろうとしたかった中で出てきて、溜まったものじゃないの?
折り合いを付けるとかは考えなくて良いけど、これからもいい人をやろうとするなら大事かもしれないよ。
冬
主さん
これはわたしにとっても永遠のテーマなので、少しばかりお返事したくなりました。
優しい人、いい人だと好かれるというのは本当です。
そして、主さんが考えている優しくない人、よくない人も、どうも世間は好きらしいな、と実感してます。
もっと言うと、こういう人だと好かれるというのは実は一つではないみたい。
主さんは、優しい人、いい人を選んだ。反抗せず、文句を言わずというのが主さんの優しい人、いい人の定義。ただそれを優しい人、いい人とは取らないで、八方美人な人、自分の気持ちを隠している人、責任を取らない人、と定義する人がいる。
結論ですが。
人はそこそこのもんです。
どっちに転がっても「その程度」のもんです。私も主さんも、そのほかの人も。
そこそこ同士、仲良くしましょう。抗わない時もあれば、抗う時もある。そんなもんです。
性格のことをパーソナリティーといいますが、その語源はペルソナ、つまり仮面から来ている説があります。
主さんは基本、相手を思いやる感覚に優れた人なんだと思います。それなのにさらに良い人になろうとする時被るのが仮面です。それは主さんではないのです。
主さんの本質はもっと柔らかく、したたか(だって、好かれるために優しく接するわけで、それは戦略です。これいい意味で言ってますよ。責めてないです。当然のことです)。
持っているものが見えてよかったですね。
箱も蓋もぶっ飛ばしていきましょう。本当の主さんを見つけるために。
だからこそ、そういう人は自分の意見をいう練習を沢山した方が良いのだと思います。
今の主さんは、単に自分の信念に囚われているだけの話です。他の選択肢が見えていない状態なだけです。
共倒れという美しい魅力的な言葉を駆使するのもありですが、少し大変な方へ、どうぞお進みください。
多分もうわかっておられるとは思いますが。
ななしさん
他人の器のキャパシティーをもう少しだけ信じてみませんか?どうせ全ての人に好かれるなんてのは夢のまた夢なんですから。但し選ぶ友達は吟味しなければいけませんが。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。