当然好き嫌いはある。
でもね、それを意見も聞かずに「わたしそれ嫌いだから」ってただただ否定するのは大変嫌です。
「それ」が目の前にいる人の大好きなものだったとしたら尚更。
もちろん大好きを押し付けるのもあれだけど、
好きになれってことじゃない。
「それ」をあなたのように嫌いな人もいるけれど、好きだという人もいるのだということを理解してほしい。
自分の見方だけで会話しようとする人。
にはなりたくない。
聞き上手さんに憧れる。
柔軟に生きていたい。
42951通目の宛名のないメール
お返事が届いています
ななしさん
ちょっとでも好き嫌いが合わないと
「キモい」とか言いますもんね 最近のひと
名前のない小瓶
わかりますー。
私も好きなものについて語ろうとした矢先に、
「私それ無理〜まじ無理〜ってかありえないっしょ」
と言われ、顔も心もしぼみました…
ちなみに私は生クリームを食べられませんが、クリスマスの時期にケーキのチラシを見て、「うわぁ、めちゃおいしそー!」という友達に、
「ほんと!ホール丸ごといけそう!」
と答えるのにもそろそろ慣れてきました。
ななしさん
難しいところかなーと思う。
なんていうか、例えば食べ物の好き嫌いだとして、どこどこがどうで嫌いって言われると、好きな自分の気持ちが傷付くし、どこどこがこうで好きって言われるとイメージするのも嫌な人の方はやっぱり嫌な気持ちになる。
何々がどう好きで嫌いかを語っているなら、理解というか歩み寄りというか、もう一歩踏み込んだ感じが必要になると思う。そういう地盤というか受け皿がないと、やっぱりお互いが、嫌だ、聞きたくない、になってしまうのかもしれない。
でも、そういう地盤は実のところそういう食い違いというか、好き嫌いの違いに向き合おうとして出来ていくものだと思う。
となると、求めようにも求められないんじゃないか、ってなってしまうなあ。人に対して好き嫌いの食い違いに向き合え、とか受け皿を作れ、とか言ってもやっぱ変な感じするだろうし。
こういう場面での都合のいい柔軟性ってなんだろうね?
柔らかい表現?柔らかい受け止め方?好き嫌いって立場の違いへの、違う意見もあることへのお互いの理解?
大雑把に言えば、思いやりなのかもしれないな、と思いました。
ななしさん
そうですよね。
自分が好きなものを理由もなく否定されたら誰だってイラッと来ますよね。
ななしさん
自分だって自分が好きなものを否定されたら嫌な気持ちになるだろ?って言いたくなるな。
嫌いでもいいし、好きにならなくてもいい。
嫌いなのを伝えるのもまあいい。
知らず知らず嫌いな話題をふってしまうこともなくなるからな。
けどオブラートには包んで欲しい。
ななしさん
逆もしかり。
好きだという人もいれば嫌いだという人もいる。
私は好きなものを嫌いと言われてもそういう人もいるって受け止められるまたは受け流せるようになりたいです。
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